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” 夢と蹉跌 "の弁証法

 「人は多く、己れの夢に励まされ成長し、その同じ夢によって蹉跌し絶望する。  ……  青年期にひそかに思い描いた夢は、苛酷な現実におしひしがれ、またみずからの経験の深化や認識の進展に修正されつつも、多くは生涯その人を支配する。そうであるゆえにこそ人は悲哀し憤怒するのだが、しかしまたこの悲哀や憤怒なくしては、ついに何事もなしえないのである。」  これは、中国文学者であり作家であった高橋和巳(1931-1971)が書いた、魯迅論、「民族の悲哀ーー魯迅」(1967)の一節だ。このとき、高橋はなんと36歳。ちょうどそのころ、17歳の高校生だった私は、高橋の書いたものに出会ったのだった。  あれから50有余年、早逝した高橋の上のことばは、老いていっそうわが身に迫る。わが「悲哀や憤怒」は「何事」をなさしめたのか、と。

「生命(いのち)の酒樽」

このところ、本棚に眠っている本を取り出して、読み直すことが多い。積読(つんどく)状態だったものは、今回はじめて読むことになるが、読み進めているうちに、「あっ、これは前に一度読んだことがあったなあ」と気づくこともある。この耄碌ぶりは、我ながら情けない。 さて、鶴見俊輔編「老いの生きかた』(ちくま文庫、 1997年)という本に、山田稔「生命(いのち)の酒樽」という短いエッセイが入っていた。私がこの本を買ったときは50歳前後だったと思う。どうしてこんな「老い」についてのアンソロジー本を買ったのかは、思い出せない。 それはさておき、この山田のエッセイにおもしろい話が紹介されていた。   山田は、何年か前に、恩師・大山定一(ドイツ文学者)が、新聞のコラムに次のような短文を寄せていたのをたまたま読んだという。記憶をたどれば、そのコラムはおおむね次のような趣旨であった。 「最近は酒を飲まなくなった。飲みたいと思わなくなった。人間にはそれぞれ一生の間に飲む酒量が定められているらしい。」 この大山の文を山田が新聞で読んだとき、「いささか誇張して表現すれば、何か人生の真実に触れたような、厳粛な、つらい気分にさせられた。すぐに考えたことは寿命ということだった。一生の酒の定量を飲み尽くしたというのは、生命の源が涸れたということではなかろうか。 ……あの人(大山)はもう先が短いのではあるまいかと不吉なことを考えたのだった」。 はたして、大山はその一年後(1974年秋)に亡くなったのだった、と。 大山が、亡くなる一年くらい前からみずから酒を断っていた時期に、山田の友人の Мが、たまたま大山を訪ねていたことをその死後に山田は知った。そのМの話によると、「大山さんは『ションボリ』していたという」。 ほんとうにそう だったのだろうか、山田は気になってきた。70 歳を越えても、4日でウィスキー1本を空けていたあの酒好きが、酒を断ち、その最晩年を「ションボリ」送っていたなどとは、思うだけでもつらいことである。そこで、 山田は、大山が書いたコラム記事をあらためて 新聞の縮刷版で探してみることにした。それは1973 年9月の夕刊に出てていた。山田の記憶は大きくは違ってはいなかったが、大山のコラムは、次のような一節で結ばれていた。   「 …わたし(大山)はわたしの『分』をすっかり飲み尽くし...

老いの繰り言(その1?)

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何かの折に、たとえば、たまたまテレビで見ていた映画や、たまたま耳にしていた楽曲に触発されて、わが身の過去のあれこれが、ふと思い起されることがある。しかも、その思い出されることとは、どういうわけか、「懐かしい」という感懐につながるような楽しいことというよりも、「どうして、あのとき、あんなことをして/言ってしまったのだろう?」というような、悔やまれることのあれこれのほうが多いのである。 それが以前より増えたような気がする。 もちろん、楽しい思い出がないわけではない。しかし、それらは「感触」のようなものであって、はっきりとした「像」は結ばない。あるいは、像を結びそうな思い出であっても、その続きに楽しくない思い出がときに控えてもいて、あと一歩のところでその像もやはりぼんやりとしてしまう。それに比べると、「悔やまれること」のほうは、そのとき、その場所で交わされた「言葉」も、表情も、いまなお鮮明なのである。「感触」ではなく、それは「言語」で想起されるものなのだ。 老いて思い出されることは、悔やまれることばかり ……これは、どうしたものか。 しかし、 と考えてみる。 その出来事があってから数十年も経ったいま、たぶんその相手(関係者)はもうそれを覚えていないかもしれないだろうから(そう願う)、誰かとの関係で生じた出来事だとしても、それは、この私自身に固有の経験であったということになる。またそれは、「二度と同じ間違いをおかさない」というような処世訓に導くような完結した ものではなく、なお現在進行形のものである。 そうであれば、ときにヒリヒリもするようなこの想起は、好んでするものではないせよ、やはり、私自身の思考や行動の「核」をつくってきたものであり、現在も私を私にさせている契機の一つとしてあり続けているものなのだろう。そこに意味があると考えれば、それを無理に記憶から消すこともないし(どだい消せないし)、その想起から逃走することもない。 答えのない「問い」の周りをぐるぐると回り続けてきたのだから、それを続けるだけだ。 ぐたぐたと書かでものことを並べてしまった。まさに「老いの繰り言」である(お許しを!)。 その口直しに、 70歳を前にして書き残した荷風先生の言葉を引用し、この記事を結ぶとことにしたい。先生の思念にはとても及ばないと、わきまえつつ…。   「 回想は現実の身を夢の世...

ワクチン接種顛末記

(記事の更新、だいぶ間があいてしまいました…)   先日( 3日前)、新型コロナワクチンの1回目接種を受けた。 市が、私の該当する「71・72歳」枠にあたる高齢者に「接種券」(と 案内文)を発送したのが5月21日(予約の集中・混乱を避けるため、年齢グループごとに分割し時期をずらして発送している)。接種券が届いた翌日、「かかりつけ医」がない私は、案内文にしたがって、市の開設している「インターネット予約」のサイトをとりあえず見てみることにした。   (1)接種の予約 1 「インターネット予約」のページにある「キーワード」の項に居住区名(できれば近くのほうがいい)を入力し、「1 回目接種」を選択して「検索」してみると、区内の「集団接種会場」のほかにも、病院・診療所(開業医)がいくつも出てきた。そのなかに徒歩圏(5分くらい)にある診療所名があった。ここで打てるなら楽でいい。 2 次に、その診療所を選択してクリックすると、接種可能な日時の一覧表が出てきて、「 ◎」記号の付いている予約可能日時が、約10日後の5月末にあった。予約のシステムを試しに見てみるだけのつもりだったが、近くで接種できることがわかったので、そのまま予約することにした。 3 接種の日時を選択し「予約」の決定ボタンをクリックすると、それで完了となり、事前に登録しておいた自分のメールアドレス宛てに「予約完了のお知らせ」メールが来た。 報道では「予約の混乱」がよく伝えられているが、居住地のこのインターネット予約システムは、なかなかよくできているのではないかと思った。もちろん、それは市の取り組みだけでなく地域の病院や診療所の協力があってこそのものだろう。 4 なお、予約した接種日の前日に「予約日の前日になりました」というメールが自動送信されてきた。接種場所、接種時間、持ち物(接種券、身分証明書、予診票)を再確認する案内であった。物忘れしがちの高齢者には、これもありがたい。 ただし、気がかりなこともある。5月末までには65歳以上の高齢者への接種券の発送は終わっているはずだが、6月3日現在、高齢者の「1回目接種率」は「 22・5%」(2回目接種率は、0・5%)と市のサイトに出ている。接種しないという選択をしたかたは別として、なかには 接種を受けたくても予約がなかなかとれないかたもいるかもしれない。また、...

1971年のエレキベース(1) 「真夏の出来事」

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昨年 10月、作曲家の筒美京平さんが亡くなったあと、追悼番組がいくつかあった(ようだ)。私はその一つを見たのだが、彼が作った曲のうち、「また逢う日まで」(1971年、歌:尾崎紀世彦)や「木綿のハンカチーフ」(1975年、歌:太田裕美)などを取りあげていたが、どういうわけか、「真夏の出来事」(1971年、歌:平山美紀)は出てこなかった。 聴く人ごとに当然印象は違うだろうが、当時それらを聴いた私は、「 また逢う… 」は楽曲とあいまって男女の別れを大げさに歌いすぎだなあと、また、「 木綿の… 」は「都会と田舎」というステレオタイプの対比に、これって都会育ちの作詞家の自分勝手なファンタジーやなと思った。いずれも、そのいささか過剰な物語性が鼻についたのだった。 それに比べ、「真夏の …」は、物語があるかないかわからないくらいの、その淡白さが好ましかった。   (「真夏の出来事」歌詞一番)  彼の車に乗って 真夏の夜を走り続けた  彼の車に乗って 最果ての町 私は着いた  悲しい出来事が起こらないように   祈りの気持ちを込めて 見つめ合うふたりを  朝の冷たい海は 鏡のように映していた  朝の冷たい海は 恋の終りを知っていた   歌のストーリーは、上のように、はじめから「別れ」が予期されおり、そして、結末部で、そのとおりに別れるのだが、歌手・平山美紀の乾いた声、いや、あの「はすっぱな声」(誉め言葉です)が、その「別れ」に湿った情緒のかけらもまとわせることがない。「悲しい出来事が起こらないように…祈りの気持を込めて」としつつ、しかし「朝の冷たい海は恋の終りを知っていた」と、客観的に自分(たち)を見る、さめた目を失わないのだ。これが、「また逢う日まで」「木綿のハンカチーフ」との決定的な違いなのだと感じた。 そういう意味で、この「真夏の …」のすべては、歌の内容以上に、情緒的なものを寄せつけない平山美紀の「声」そのものにある。「彼の車に乗って」という一見「従属的」にも思える歌詞に反して、「見つめ合うふたり」の主導権を握っているのは、あくまで女のほうである。反対に言えば、歌から男の顔はまったく浮かんでこない。最後に「グッバイ」と言い放って去っていく女の後ろ姿があざやかだ。   50年まえにラジオで聴いたときに、平山美紀のあの「声」の質感を支えていると感じた...