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”ぼくの好きな先生”

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週末の土曜日、徒歩圏にある大学で催された「クリスマスコンサート」に出かけました。大学の「社会貢献活動」のひとつとしておこなわれているとのことで、地域住民も事前に申し込めば入場できるのです。その敷居の低さがよかったので普段着のまま行ってみた のです。 1700人の観客を収容できるという大講堂(ホール)の席は、ぱっと見、7、8割は埋まっていて、ステージの正面には大きなパイプオルガンが見えました。 市民オーケストラによるすばらしい演奏は、「ブランデンブルク協奏曲」から「となりのトトロ組曲」まで、 1時間半くらい楽しめました。 そのなかに、「アルビノーニのアダージョ」というオルガンと弦楽器のための楽曲があって、曲名はこれまできちんと知らなかったけど、そのメロディーは映画か何かで耳にしたものでした。( ↓) 短調の曲なので、なにかそんな場面で流れていたのでしょうね。   パイプオルガンの独奏による「荘厳」な曲もありましたが、弦楽器の演奏をともなうこの曲のほうが私には好ましく感じられました。心がとてもおだやかになりました。 演奏会が終わり、帰り道、その 余韻のなかで 、脈絡もなくふと、キヨシローさんの「ぼくの好きな先生」が浮かんできました(↓)。 「タバコを吸いながら いつもつまらなそうに  タバコを吸いながら いつでも部屋に一人  ぼくの好きな先生 ぼくの好きなおじさん   …… 学校には、教室の「におい」とはあきらかに違う空気が流れている空間があったと思います(いまもそうあるでしょうか?)。その場所は、人によって違うでしょうが、音楽室、美術室、図書室、あるいは保健室、校務員室 …。そんなところ。そこは学校からちょっと「おりる」ことのできる場所、学校との「適度の距離」がとれる場所でした。 私のような無職者は職業生活から「おりた」状態に日々あるわけですが、それでもやはり、ときどきは音楽会に行ったり美術館に行ったりして、じぶんの、老いの日常からわずかの時間であれ「おりる」、いや、ちょっと「こころの保健室」に寄り道 してみるのもいいものだなあと思ったのでした。 ところで、 さっき地元のコープ(生協)で牛乳を買うとき、消費期限を見ると、「 1月6日」となっていて、「 そうだもう年の瀬か」 と気づ

はっきりさせること、あいまいなままにしておくこと。

客:ひさしぶり! 新しいブログを始めたんだね。読んだよ。 主:ありがとう。新しいブログを始めてみたんだけど、前とどう違うか、自分でもよくわからないんだ。 客:はっきり言って、もうひとつ違いがわかりにくいよね。 主:たしかに …。ただあまり不特定の人に向ってではなく、ボクのことをちょっと知っていそうな人に向って、実際に読んでくれているかわからないけど、語りかけるという感じで当面やっていこうと思って始めたんだよ。自分ひとりのなかで片を付けてもいいんだけど、「だれか」を想定して語るというかたちをつくってみないと、怠け者のボクはなかなか考えたりしないからね。ただこの前書いた記事なんかも、人様に語るに足るものか、語って何になるのか、きっと「引く」だろうなと思ったり、自分でもよくわからないわ。 客:まあ、そんなに気にしなくてもいんじゃないの。近況報告みたいに読んでくれているかもしれないし、甘えさせてもらったらいいんじゃないの。 主:「近況報告」というより、生存報告みたいなものかもしれないね。「まだ生きています!」って。 客:自分に向き合うのにキミが必要だと思えば、それを続ければいいだけじゃないの。 主:ところで「生存報告」といえば、最近こんなことがあったんだよ。 ***** (前置きが長くなりました。スミマセン) この時期になると、「喪中につき年頭のご挨拶を失礼させていただきます」という挨拶の葉書が来ることがあります。人付き合いがほとんどないので、もともともらう年賀状もすごーくすくないけど、そうした挨拶が今年二通あって、そのうちの一通に子どもの頃にすこし行き来のあった親戚の人からのものがあったんです。その人( Aさん)の母親と私の母親がいとこ同士というくらいの関係なんですが、Aさんは親戚づきあいもきちんと続けるという考えを持っておられて(同窓会などの集まりにも積極的に参加しているようですし)、私のようないい加減なものにも年賀状を、私の父の葬儀で再会して以来、送ってくれるようになっているのです。 その「喪中の挨拶」には、Aさんの兄さんが亡くなったことが書かれていて、幼い頃、その人ともいっしょに遊んだことがあったので、そのときの思い出なども短く記して、お悔みのメールを(メールで失礼かと思いながらも)Aさんに出したのです。 す

心の”翼”

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平凡で”ふつう”の私たちも、おたがいが、おたがいにとって小さな心の”翼”となれれば、と願う。