その「死」は誰のものか …個と国家(1)

ロシアによるウクライナ侵攻をめぐる報道に接していると、日本によるアジア侵略支配の歴史がそれに重なり、しばし考え込んでしまう。そして、戦争という事態が、ぼーっと生きているだけの私の日常にも潜んでいる、たとえば「個と国家」の関係といった問題を思い起こさせるのである。

イギリスの作家・フォースター(1879ー1970)は、1938年、ヨーロッパでのファシズムの台頭を横目で見ながら、「私の信条」というエッセイを書いている。その末尾に次のような一節がある。

「私は絶対的信条を信じない。しかし現代は信念の時代で、無数の戦闘的信条が横行しているから、自衛上誰もが自分の信条を作らざるをえない。寛容とか善意、同情などでは間にあわないのである。…それでは役に立たず、こういうものの働きは、軍靴に踏みにじられる一本の花も同じになっている。

(私の信条である)個人主義のほうは、棄てようとしても棄てられそうにはない。英雄的な独裁者は、国民が全員同じになるまで弾圧をくわえるかもしれないが、全員を溶かして一人の人間にできるわけはない。…ひとつになれ、と命令することはできるだろう。狂気の踊りに駆り立てることもできるかもしれない。しかし、国民は一人一人べつべつに生まれ、べつべつに死んでいくほかはなく、この不可避の終着点がある以上、どうしても全体主義のレールからは脱線してしまうのである。誕生の記憶と死の予感はいつも人間の心にひそんでいて、それが一人の人間を仲間からひきはなし、結果として仲間との交流を可能にするのだ。」(『フォースター評論集』岩波文庫)

「寛容とか善意、同情などでは間にあわない」戦争の時代に、それでもなお、個人主義だけは手放すまいとする作家の姿勢がよく出ている。また、「誕生の記憶と死の予感…が一人の人間を仲間からひきはなし、結果として仲間との交流を可能にする」という、文学者らしいこの表現には、個が孤絶し完結したものではなく、関係として存立しているということも示唆されているように思われる。

しかし、引用したフォースターの「個人主義」と「全体主義」をめぐる議論は、世界戦争へと時代が急傾斜していたその当時、彼の暮らしていたイギリスという社会土壌では成り立ちえたとしても、たとえば、ナチス政権下のドイツ、あるいはその占領支配下で抑圧された日々を送る人びとには、リアリティを欠く「甘い考え方」だと映ったかもしれない。そう思うのは、同じ時期、他でもない、ファシズム国家・日本を生きた(生きざるをえなかった)、一人の作家の言葉を思い起こしたからである。

その「作家」は、堀田善衞(ほった・よしえ 1918ー1998)。その「言葉」は、堀田の自伝的小説といわれる『若き日の詩人たちの肖像』(1968年刊行、以下『詩人たち』と略)に出てくるものだ。この小説は、戦争期、具体的には、2・26事件(1936年2月)から、出陣学徒壮行会(1943年10月)の直後に召集令状を受け取るまでのあいだ、東京で学生生活を送る主人公(「若者」、のちに「男」と表記される)が、何を考え、何に悩み、どう生き行動したのかを描いたものである。(下は、現在の集英社文庫版カバー)



その作品のなかで、主人公である「若者」は、次のような想念、いや「心の叫び」を吐露する。それはもちろん、青年であった堀田がその当時抱いた想念でもあったはずである。

「卒業論文を書く、卒業するということは、それはすでに兵役に行くということであり、その人生の中断がそのままで死につながるということであった。…だから、卒業をするというのに、誰一人として就職の話をするものもなかったのである。……

戦争にかり出されて死ぬのは、死ぬのではない殺されるのだ! 戦死だとか、死ぬ、とかと言うから間違うのだ。……

戦争、つまりは国家とか民族とかという、本当は得体の知れない筈のものが、一人一人の人間の生活のほとんどあらゆる場面にまでひたひたとひたり込んで来て、あろうことか、おれ自身の死ぬということまでを奪いとり、死ぬのではなくて殺されるというところまでひたり込んで来る。自分の死を死ぬ、その自由までがなくなって、しかも殺されてから死ぬのはどうしてもおれ自身でなければならぬとは……。」

先に私がフォースターの議論を「甘い考え方」にも思えると言ったのは、そこではまだ一人の人間が「自分の死を死ぬことができる」ということが前提とされているからである。それに対し、『詩人たち』のほうでは、「若者」は「自分の死を死ぬ、その自由までがなくなって」しまうところまで、つまり、個の最後の拠り所まで「国家とか民族とか」に侵食され、個は追い詰められ、ほとんど窒息させられているのである。フォースターが、「私の信念」についてまだ語りえる社会、そして全体主義社会をその外部から観察できる「大英帝国」本国に身を置いていたとすれば、『詩人たち』の「若者」(あるいは若き日の堀田)は、思想信条の自由、表現の自由のいっさいを奪ったファシズム国家「大日本帝国」の中枢部・東京で、出口のない日々に押し込められている。その違いが、両者の「死は誰のものなのか」をめぐる思念の違いとなってあらわれていると思われた。それぞれの認識に「正誤」はない。その認識をもたらした「状況の強度」の違いを思うのである。

それにしても、堀田善衞が主人公の「若者」に語らせた、「戦争にかり出されて死ぬのは、死ぬのではない殺されるのだ! 戦死だとか、死ぬ、とかと言うから間違うのだ」という言葉は重い。「戦争にかり出され」た時点で、一人の個は国家によってすでに「殺され」ているわけである。そして、その兵士が戦場で殺されたとすれば、それは国家によって二度殺されたことになる。兵士は「自分の死を死ぬ」こともできないまま、「国家」、より正確に言えば、「自国」によって二度も殺されたのである。この堀田の言葉は、そのままガダルカナル戦を生きた赤松一等兵の言葉であり、また子供の頃に東京大空襲を経験した平澤健二さんの声にも重なる。

「尊い犠牲の上に、私たちが享受する平和と繁栄がある」(全国「戦没者」(?!)追悼式での総理大臣某の式辞)… バカも休み休みに言え! そう言うお前が真っ先に戦場へ行け! 殺された者たちの声が、地の底から聞こえてくるではないか。

ところで、今朝の新聞(5月8日付 朝日新聞)の一面を見ると、「防衛力強化『賛成』6割越え ロシアの侵攻影響か」の大見出しが目に飛び込んできた。朝日新聞と東大の研究室が実施した共同調査の結果とのことだが、その「防衛力強化」なるもの(=軍拡)が、この社会に生きる人びとに、そして近隣諸国をはじめ世界の人びとに何をもたらすのか、それを歴史に照らして考える視点はその記事にはまったく示されていなかった。そのうえ、その軍拡の「財源」(増税や社会保障費の削減)に関することさえ論じていない。これが日本の危うい「いま」である。連日、報道では「専門家」と称する人たちがウクライナの「戦況」について訳知り顔で解説しているが、日本の「いま」を歴史のなかに置いてかえりみ、それを世界の未来に投げかける意志をもたないかぎり、そのお喋りは心底むなしい。

(つづく)



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