ウクライナからの励まし  死者たちへの約束(1)

当ブログを始めたころ(2019年11月)、「香港からの励まし」という記事を載せたことがある。香港の自由と民主主義を奪おうとする香港政府、その背後にいる中国政府の強権的な政治支配、暴力的な弾圧に抗し、香港の人々が困難な闘いをたたかっていることにつよく心を揺さぶられたからだった。(いまも続く)香港市民の運動は、それに比べて無きに等しいものだったかもしれないが、私が関わった小さな運動のことを思い起こさせ、「お前はその後、何をしてきたのか、無為怠惰に流されていただけではなかったのか」、という自問をかかえることになった。それが、このブログを続ける動機のひとつになった。

さて、2022年2月末、ロシアのウクライナ侵攻が始まった。ウクライナの人びとの抗戦、抵抗運動を報じるニュースを、自由を求めてたかかう香港の運動に重ねるように、連日胸を痛めながら見ている。報道では、「国家」という次元での政治・軍事のパワーゲームとして論じるものが多く、なかには「日本の安全保障上の脅威→ 軍備増強」を煽るようなものまである、しかし私は、ウクライナ市民たちの、あの抵抗・不服従精神がいったい何にもとづくものなのか、ということについてもっと知りたいのだ

ウクライナの歴史について、ウィキペディアにあたってみると、ソ連邦の解体後、1991年の独立宣言と国民投票にもとづき、憲法が制定された、とある。その条文のごくごく一部を引くと…。

1条 ウクライナは主権国家であり、独立した民主的かつ社会的・法治的国家である。

21条 全ての人間は自由であり、その尊厳及び権利において平等である。人権及び自由は奪われることのない、神聖なものである。

この、自由と民主主義を高らかにうたったウクライナ憲法の制定後も、独裁的政治の揺り戻しがあり、市民たちはそれに抗して粘り強いたたかいを続けたようだ。そのなかでも、多くの犠牲を出しながら独裁政権を倒したたたかいは(独裁者はロシアに亡命)、「マイダン革命=尊厳の革命」(2014年)と呼ばれているそうである(*)。

(* 追記:この時点では上に記したようにマイダン革命を受けとめたのだが、そののち、その革命の政治力学はもうすこし入り組んでいるということを学んだ。ウクライナ侵攻から半年がたったいま、私の考えもすこし変化しているが、過去の記述はそのままにしてきます。2022年8月)

ウクライナの人びとは、命がけで、いま「国」を守るためにたたかっているが、その「国」を守るとは、ウクライナ憲法の言葉を借りれば、「全ての人間は自由であり、その尊厳及び権利において平等である」という理念を生きることと同義であり、それはまた「ひととしての尊厳」をもって生きることと別ではないだろう。また、その憲法は、「与えらえたもの」ではなく、強権に抗して「市民自らの手でかちとったもの」である。そして市民たちにはおそらく、そのたたかいの途上で犠牲となった死者たちのまえで固く約束した「なにか」があり、その死者たちをたえず想起することで、その理念が、身体に深く刻まれ、生きられる実質となっているのではないか。

ところで、下の報道(映像 ↓)にも心を打たれた。そして、ウクライナからの避難民を自宅に招き入れようと駅頭に立つたくさんのドイツ在住の人びともまた、みずからの生きる歴史を、死者たちとの対話として反芻し、その死者たちのまえでみずから約束した「なにか」をもって、そこに立っているのではないかと想像した。〈いのちの互酬性〉とでも言えるような、静かだが、ゆるぎない「生」が、その映像から伝わってくる。おそらく、ロシア国内で自国政府に対して、抗議の声を上げる「勇気ある人びと」もまた…。


「勇気



上の映像を見ながら、また、次のようなことを思ってもみた。

先の大戦で、国際社会から孤立してまでも「武力侵攻」を押し切ったこの日本「国」は、当然の結果としての敗戦を迎えた。その後、この社会(人びと)は、みずから共和制をうちたてることはしなかった(できなかった)ものの、戦争がもたらした国内外の死者たちと対話し、死者たちにむかって「なにか」を約束したはずである。その約束を集約したものが、国際公約でもある「憲法」なのではないか。

そして、この日本でも、「世にある人、命にまさる物なし」(今昔物語)という、人類の普遍的価値に通じるような思想は、近代をさかのぼること遥か昔に、認めることもできる。それは、この社会の小さな「希望」である。私の「余生」も、その「いのちの水脈」から、希望に向かう言葉と行動を、たとえわずかであっても、くみ上げるものでありたいと願う。

 


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