「祈り」のかたち(2) ーー南方熊楠の「神社合祀反対論」
鶴見俊輔『アメノウズメ伝』には、『古事記』と『日本書紀』に「アメノウズメのおどり」が記されているにもかかわらず、今に伝わる『日本書紀』の三つの異本に記されていないのは、「アメノウズメのおどりが、『単なる淫猥事』と考えられるようになってからけずられたものだ」という、歴史学者・井上光貞(1917ー1983、日本古代史)の説が紹介されている。そして、鶴見は、戦前に自己の受けた学校教育の体験をふまえて次のように述べる。
「(アメノウズメの)みだらなおどりの部分を省略してしまおうというくわだては、支配者を荘厳化する。……この時(鶴見が小学校で皇国教育を受けた時)までにいくらか読んでいた日本の神話は、イザナギ・イザナミにしても、スサノオノミコトにしても、神々は認識上の欠陥をあきらかにしていて、到底無謬などと言えるものではない。それがどうして、昭和天皇になると、無謬の権威になるのか。
……
人はあやまちをおかし得る。認識の上でも、倫理の上でも。支配者はあやまちをおかし得る。そのあやまちは、支配者でない人のあやまちよりも、重大な結果をもたらず。そういう経験則が、社会のなかにひろくあったほうがいいが、残念ながら国家の成立は、その経験則をぼかす方向にはたらく。はっきりと支配者のまちがいを記しておく神話をもち、その神話によってみずからの正統性を保証しながら、どうして明治国家は、まちがいをおかさない帝王という考え方をつくりだして、国民に教えこんだのか。笑いと政治という、日本の神話にある主題は、明治以後の統治にかげをひそめた。」
日本の神々の、過ちもおかし、人間以上に人間的でさえある、おおらかなありようは(ユマニスムにも通じる)、明治以降、隠蔽された。神々は「国家神道」へと再編(一元化)され、天皇が「無謬の権威」として神格化されていくことになる。そして、それはまた同時に、そのもとでの「国民(臣民)」の創出・管理を意味しただろう。
人びとの日常の暮らしとともにあった「鎮守の社(やしろ)」の多くも明治政府の「神社合祀政策」(一町村一社、1906年)によって統廃合され、また社とともにあった「鎮守の森」も伐採されることになる。
こうした政府による神々の統制と序列化に反対の声を上げたのは、南方熊楠(みなかた・くまぐす)である。熊楠は、「神社合祀に関する意見」で次のように言う。
「…かくのごとく神社合祀は、第一に敬神思想を薄うし、第二、民の和融を妨げ、第三、地方の凋落を来たし、第四、人情風俗を害し、第五、愛郷心と愛国心を減じ、第六、治安、民利を損じ、第七、史蹟、古伝を亡ぼし、第八、学術上貴重の天然紀念物を滅却す。
当局はかくまで百方に大害ある合祀を奨励して、一方には愛国心、敬神思想を鼓吹し、鋭意国家の日進を謀ると称す。何ぞ下痢を停めんとて氷を喫うに異ならん。…」(「青空文庫」による)
熊楠のいた和歌山県では、県内にあった社・祠の5分の4、約2900社が「滅却」されたというが、それでも熊楠(ら)の反対運動があったから、この数でとどまったといえるかもしれない。
熊楠が反対意見書でのべた、神社合祀で失われる八つの「大害」を逆に言い換えれば、それまで長い間にわたって、身近な社をとおして人びとが神々と親しく交流することで、おのずと「敬神思想」が養われ、「民の和融」も、「地方」の活力ももたらされ、「人情風俗」や「愛郷心と愛国心」の涵養、「治安、民利」や「史蹟、古伝」の保持、さらには鎮守の森にある「学術上貴重の天然紀念物」の保存までがなされてきた、ということになる。土着の神々と土地の人びととの交流が、ゆるやかにひとつのコスモスを織り上げてきた。「国家神道」による神々の統制は、こうしたコスモスを破壊したのである。アメノウズメの日本神話からの「追放」もまた、それと基調を同じくするものであった。
(つづく)
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