「祈り」のかたち(1) ーーアメノウズメ
私が勤めをやめ「隠居ぐらし」に入ってから、そろそろ丸4年になる。毎日時間がたっぷりあるし(暇であるし)、心身の健康のためにもいいからと思って(することもとくにないし)、裏山散歩によく出かけるようになった。
山の上には古代祭祀場が起源であるという神社があるが、その神社でちょっと気になる光景を目にする。それは、神社に参る人たちの「参拝の身振り」についてである。昔はこんな仰々しい仕方でお参りをしていただろうか、と思わせるほど、「礼儀正しく」参拝する人たちがなんだか増えてきたように感じられるのだ。誰が言い出したかは知らないが(神社本庁あたりか?)、「正しい参拝の仕方は二礼二拍手一礼」という「指導」が浸透してきているのか。
さらに、拝殿での参拝に先だち、鳥居をくぐる前に一礼、また参拝後、鳥居をくぐり出た後に、振り返って一礼する人びともいる。合計5回も神に向って頭を下げていることになる。いつからこんなにお参りの作法が「煩瑣」で「過剰」なものになったのだろう?
ユマニスト・渡辺一夫の言葉を借りるなら、そんな「作法」は一体神々とどんな関係があるのか、と問うてみたくなる。
私の記憶をたどれば、子どもの頃(1950年代)はもちろん(小学校の修学旅行で伊勢神宮に詣でたときでさえ)、大きくなってからも(60年代)、誰かから「正しい参拝の仕方」など教えられたことはない。拝殿に向って手を合わせ目をつむって、自分や親しい誰かの、あるいは世の中にかかわる何かの「願いごと」をする。ただそれでよかったはずなのだ。
こんな戸惑いを感じるとき、鶴見俊輔の『アメノウズメ伝』(1991年、平凡社)を思い出す。
アメノウズメ(天宇受売命/天鈿女命)は、ご存知の通り、アマテラスオオミカミが弟スサノオノミコトの狼藉ぶりに機嫌を損ねて天岩戸(あめのいわと)に隠れてしまったとき、その岩戸のまえで、集まった神々を笑わせて隠れたアマテラスの気を引き付けるために、「胸乳をあらわにし、裳の紐を女陰まで押したれ」て、おもしろおかしい踊りをおどったと『古事記』に記されている女神である。
私は、小学校のとき、学校から「映画鑑賞」で、日本神話を映画化した『日本誕生』を観に行ったことがある。いま調べてみると、その映画は1959年に公開されたらしいから、私が4年生の頃のことだ。
神話をモチーフにした全体のストーリーはよく解らなかったが、スサノオ(三船敏郎)の狼藉ぶりやヤマタノオロチ退治の場面、そしてアメノウズメ(乙羽信子)の「妖しげな踊り」の場面は後々まで記憶に残った。また天岩戸に隠れたアマテラス(原節子)が神々の笑い声につられて天岩戸をすこし開けたその時をねらって、天手力男神(アメノタヂカラオ)が力一杯その岩戸を開けるのだが、そのタヂカラオ役で当時の横綱・朝潮が出てきたので(特別出演?)、場内の笑いはいっそう大きくなったと記憶する。子どもたちの多くも、妖しげ(怪しげ)な踊りと朝潮の登場におおいに沸いたのだった。
(つづく)
コメント
コメントを投稿