「ユマニスム」(ヒューマニズム)について 渡辺一夫(2)
渡辺一夫(1901ー1975)には、『渡辺一夫著作集』全14巻があるが、私が読んだのは文庫本『フランス・ルネッサンスの人びと』(岩波文庫、1992年)、『狂気について』(同文庫、1993年)だった。どちらも、渡辺から直接の教えを受けた仏文学者・清水徹が著作集から選んだものであるだけに、文庫本ではあるが、渡辺の思索のエッセンスに触れることができた。
また、最近になって、渡辺が1974年に新書として書いた『ヒューマニズム考』が再刊された(講談社文芸文庫、2019年)。『フランス・ルネッサンスの人びと』、『狂気について』に収録されている諸論考(研究)を踏まえつつ、一般読者を意識して書き下ろされたものなので、門外漢の私のような者には、これもありがたい。この『ヒューマニズム考』を軸に、前二著も加え、渡辺の思索についてメモしてみる。
渡辺が、ふつう「ヒューマニズム」と呼ばれるものを、フランス語の「ユマニスム」という語を用いて論じるのは、(1)「ヒューマニズム」という語の意味が拡散され曖昧なものになっている(「人道主義」「博愛主義」などなど)、したがって、(2)その語=思想の成立に深く関わるフランス・ルネッサンス期(16世紀、渡辺の専門分野)に目を向けたい、という理由からである。
渡辺はまず、ユマニスムの出発点には、「それはキリストとなんの関係があるのか」という問い、つまり当時の神学研究において議論のための議論、些末な論争がくり返されている事態に対する根本的な問いかけ(批判)があり、それは宗教改革運動と深く関わっていたと言う(『ヒューマニズム考』)。しかし、だからといって、ユマニスムは宗教改革運動それ自体を意味しない。ユマニスムはたとえばルターの言動を批判するものでもあるからだ。
「ルターの改革の願いには、多くの点で、(ユマニストである)エラスムスの共感を得るだけのものがあったのです。しかし重なる迫害や弾圧に憤激したルターは、『それはキリストとなんの関係があるのか』と問いかけるだけでは、生ぬるく非現実的で、事態をいささかも好転させるわけにはいかないと考えて、政治的、軍事的な行動にまで出ました。
……
(しかし)エラスムスは、人間というものが危険な動物であり、狂信がはびこれば、これに対する別の狂信が生まれ、この二つの狂信が衝突するばあい、いかに悲惨なことが起こるかということを知っていました。(だから)ルターの果敢な実践行動には、とうていついていけませんでしたし、これを是認するわけにもいきませんでした。」(『ヒューマニズム考』)
エラスムスの晩年にはヨーロッパ各地で血にまみれた宗教戦争が拡大する。新・旧教徒どちらの側も火刑台を用意し、同じ「神」の名によって相互に殺戮を繰り返した。
このエラスムスとルターとの関係は、のちのラブレーとカルヴァンの関係に重なる。「宗教改革者」カルヴァンの厳格な指導は、多くの人々を投獄・追放・死刑に追いやることになる。そして、新旧間の「狂気」はさらに激化し、フランスでは「聖バルテルミーの虐殺」(1572年 *)という悲劇が起きる。
(*)旧教徒による新教徒の大虐殺事件。死者の数は数千とも数万ともいわれる。「ときのローマ法王は、祝賀式を行なって、『神』に感謝したと伝えられる」(『ヒューマニズム考』)
たしかに、ユマニスト、エラスムスも、またエラスムスに私淑したラブレーも、こうした「狂気」の暴走を止めることはできなかった。
「(だが)エラスムスは、一人でも多くの人々で護られ育てられねばならない。さもなくば我々には虚無しかのこされていないであろう。……エラスムスの限界の指摘が、破壊や暴力や狂信による現実処理法を正しいとする口実となってはならないのである。」(渡辺一夫「エラスムスについて」、『狂気について』所収)
さらに渡辺は、エラスムスの書(『痴愚神礼賛』)が15世紀末から16世紀前半にかけてのヨーロッパ社会への諷刺にとどまらず、それは現代社会にも、われわれ一人ひとりにもあてまはまるところがあると言う。なぜならエラスムスの時代から今日にいたるまで、「洋の東西を問わず、『狂気』の帝国は健在であるから」だ(「狂気について」、『狂気について』所収)。
このように考える渡辺にとって、ユマニスム(ヒューマニズム)とは、次のようなものとして定義される。
「真に偉大な事業は、『狂気』に捕えられやすい人間であることを人一倍自覚した人間的な人間によって、誠実に執拗に地道になされるものです。やかましく言われる『ヒューマニズム』というものの心核には、こうした自覚があるはずだと申したいのであります。」(「狂気について」、『狂気について』所収)
ユマニスムとは、ひとつの「堂々たる体系をもった哲学理論」でもなければ、「尖鋭な思想」でもない(『ヒューマニズム考』)。しかし、「体系をもった哲学理論」や「尖鋭な思想」が、それゆえに「狂気」を呼び込むものへと転じていったこと(その危険性をはらむものであること)、そしてそれが「『狂気』に捕えられやすい人間」であることの無自覚に因るものであることを、ユマニスムは、一人ひとりの「人間」に向ってたえず喚起するのである。つまり、みずからが「『狂気』に捕らえられやすい人間」であるということをたえず自覚し続ける者が、「人間的な人間」なのであり、つまりユマニストなのである。
ユマニスムの、この「『狂気』に捕らえられやすい人間」であるという自覚は、おのずと、他者に対する「寛容」な態度を導くだろう。己が「過ちを犯しやすい人間」であることを知るひとは、みずからを「無謬性」という虚構の場所に立たせ、そこからそうでない他者を攻撃したり、「宗旨替え」を強要したり、まして暴力的に「異端者」を抹殺したりはしないはずだ。その意味で、ユマニスムはまた「寛容の精神」に近い場所に立っている。(「狂気」に対しても「寛容」であるべきか、という問いが続いてあらわれるだろうだが、いまは触れない。)
以上のように、渡辺は、ユマニスムの成立契機を、ヨーロッパの宗教戦争の悲劇との関連で指摘したのだが、もう一つの契機として、ヨーロッパの新大陸との出会いを挙げている。次回の記事で取り上げることにする
(つづく)
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