「肉体と化した文化」(”Love In Vain”)  加藤周一ノート(8)


"Love In Vain"

I followed her to the station, with a suitcase in my hand And I followed her to the station, with a suitcase in my hand Well, it's hard to tell, it's hard to tell, when all your love's in vain All my love's in vain When the train rolled up to the station, I looked her in the eye When the train rolled up to the station, and I looked her in the eye Well, I was lonesome, I felt so lonesome, and I could not help but cry All my love's in vain When the train, it left the station, with two lights on behind When the train, it left the station, with two lights on behind Well, the blue light was my blues, and the red light was my mind All my love's in vain


「青いテールライトはオレのブルーズ、赤いテールライトはオレの傷心…」


加藤がその語りを聴いた「古靭大夫」を、強引かもしれないが、上の Love In Vain”をうたうロバート・ジョンソンに置き換えてみたらどうなるだろうか。前回引用した加藤の一節は、次のようになりはしないか。

そのブルースには、「何ものを以てしても揺り動かし難い強固な一つの世界、男の別れの歎きを、そのあらゆる微妙な陰影を映しながら、一つの様式(ブルース)にまで昇華させた世界があった。その世界は、劇場の外のもう一つの世界ーー「白いアメリカ」の観念と実際のすべてに相対し、少しもゆずらず、鮮かに堂々と、悲劇的に立っていた。ロバート・ジョンソンは孤軍奮闘したのであろうか。そうではあるまい。アフリカ系アメリカ人の歴史と文化のすべてが、彼の身体のなかに凝縮していたのだ。肉体と化した文化……そういうことが、言葉としてではなく、動かすべからざる現実として眼のまえにあった」。

「肉体と化した文化」は、時代を読むに敏い「観念だけの文化」のいかがわしさをあぶり出すだろう。「伝統」だの「歴史」だのと、いくら見かけの装飾をほどこそうとも、「肉体と化した文化」のまえではその底の浅さはいずれは知れる。しかし、1941年12月8日の夜、「新橋演芸場」に来ていた観客はたった5名足らず、一方、「開戦の『詔勅』の後に真珠湾の大勝利を聞いた東京は、有頂天となり、狂喜してほとんど手の舞い足の踏むところを知らなかった」(加藤周一)のであった。

近代以降、日本の学校教育をとおして教えられた「伝統」や「歴史」は、肉体を欠いた、つまり長い時間をかけて積み重ねてきた「文化」とは切断された記号(符丁)でしかなかった。それは肉体をもたない「制服」であったから、それらの記号はふたたび敗戦後、「進歩」や「未来」という「新しい意匠」にたやすく置き換えられる。「制服」は違っても肉体化されていない記号であることに変わりはなかった。

そう考えれば、たぶん、日本の戦後史は、その記号を肉体化していく過程としてあった(あるべきだった)のではないかと思う。いまなお「制服」の思想も、カタカナであれこれ造語される「観念だけの文化」も根強くあるが、その風圧をかわして、古靭大夫の語りやロバート・ジョンソンのうたに通じる若い人たちの語りや歌が出てきていると、私は信じたい。「制服」は着ているのだが、何かの拍子に、ふと「その人」のしぐさや顔がこぼれる瞬間ほど、まぶしく感じられるときはない。

(次回で、「加藤周一ノート」を終わります。)

(つづく)



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