”桑野通子”と”桑野みゆき” 『土曜日』をめぐって(4)
(前回のつづき)
映画『有りがたうさん』に登場する重要人物の一人が、映画冒頭の「配役」で、「有りがたうさん 上原謙」と並んで出てくる、「黒襟の女 桑野通子(くわの・みちこ)」です。「黒襟の女」は、酒場などで働きながら旅から旅へと流れていく「わけあり」で「わけしり」の、肝のすわった女性として造形されています。ときにふてぶてしくもあるのですが、それは社会の偏見や差別とたたかい、潜り抜けてきたそれであることが伝わってきます。バスの中でも、偉そうにしているだけのナマズ髭男をコケにし、手玉にとる一方で、「身売り」されていく娘をどう救えばいいのかも親身に考えている、繊細で思慮深い女性でもあります。
1930年代(戦前)の日本社会では、女性には参政権もなく、男性にはない姦通罪が科されるなど、今以上に酷な状況だったでしょう。ちなみに、滝川事件の滝川幸辰は、治安維持法の問題点だけでなく「姦通罪」が男女平等に反することも指摘する学説を唱えていたため、排斥運動のやり玉にあげられたということもありました。
『土曜日』の「婦人」面には、「明日の花束」という連載コラムがあります。そのなかにあった「男性対女性」という記事(1936年9月19日号)に目がとまりました。
「某百貨店の一男性店員は田舎から花嫁を貰った時に、同じ課の女店員に次の様に云いました。『俺の細君は君達の様なすれっからしで、理屈っぽい女とはダンチだよ。君達は日本女性とは云えんぜ。』」
コラムを書いた女性は、こういうダメ男に対して次のように、皮肉たっぷりガツンとかまします。
「……こんな事は彼(一男性店員)独りだけの場合でなく、相当新しい様に見える男でも、底を割って見れば、之に似た様な事はあるでしょう。……この目まぐるしい時代に生きて行こうとする者に、昔の様にのんびりしているのはどうかしています。……となると、彼氏の理想の女性は世界中何処にも居ないらしいです。と云って安月給では家庭外の享楽も出来ないとなると、何かを清算しなければ、面白くない面白くないで暮らさねばならないでしょう。一つ、自分の古さをさっぱり捨てて男らしくなってはどうですか。」
また、別の号(1937年1月5日)の同コラムでは、「阿部定」事件(36年5月)がいつまでも面白おかしく取り上げ続けられていることについて、次のように苦言を呈しています。
「……女の欲望のすがただけが、こんなにも、魔もののそれように、げらげら笑いを以て、取沙汰されるのは、やはり、警察も、新聞も、裁判所、みんな今の世では男たちの手によって、動かされているからだと思います。
……欲望のふくれ上ったすがた、人工的に歪めくねったすがたをあげつらうならば、男のそれが作りあげている遊郭や、芸妓や、料亭や、待合や、カフェーなどの、大げさな、グロテスクな仕掛けはどうでしょう。……この誇張された病的に過敏な欲望が制度化したものの前には、おさだ(阿部定)と云う一人の女の状態などは問題にも何にもならない位です。……忘年会や新年宴会の帰りには、何を考え、何をするかわからない男たちが、しかつめらしい顔をして、おさだを責める図は吹き出したい位です。」
「欲望の制度化」に論点を定め、そこ(メタレベル)から世にあふれる「猟奇事件」視を一蹴する文体が小気味いいです。そう思うと、映画『有りがたうさん』の「黒襟の女」があらためて思い起こされます。
今回、はじめてその映画で「黒襟の女」を演じた「桑野通子」という俳優さんを知ったのですが、桑野通子(1915-1946)は高峰三枝子と並ぶ松竹の看板俳優だったとのことです。若くして亡くなったため、他のスターに比べて名前が知られていないのかもしれません。
「桑野みゆき」という俳優は、若い方はご存じないかもしれませんが、桑野通子の娘だったことも今回はじめて知りました。学生の頃、再上映された大島渚監督の初期の作品『青春残酷物語』(1960年 ↓)で桑野みゆきが演じた「真琴」がとても印象に残っていましたが、彼女の母が演じた「黒襟の女」がそれと重なりました。
話が、『土曜日』からすこしそれてきたかもしれませんね。あと一回で、「『土曜日』をめぐって」は終わりにしましょう。
なお、『青春残酷物語』の予告編は→ ここ。
話が、『土曜日』からすこしそれてきたかもしれませんね。あと一回で、「『土曜日』をめぐって」は終わりにしましょう。
なお、『青春残酷物語』の予告編は→ ここ。
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