”奇妙な本棚” 小野十三郎(2)
(前回のつづき)
小野十三郎の「拒絶の木」は、1974年(小野、71歳)に刊行された同名詩集に収められたものだが、「かんけいありません、あなたの歌にわたしは。」の思想は、それ以前からじっくりと深められてきたものだ。それは、戦争期(日中戦争以降)の大阪湾岸の工業地帯を凝視した、小野が30代の頃の詩集『大阪』(1939年)、『風景詩抄』(1943年)の詩群に先行的に見られる。小野は、「大阪」といっても御堂筋や道頓堀ではなく、安治川や淀川の河口に広がる新興の工業地帯に足をしげく運んだ。そして、そこで「風景」を凝視つづけた。それはなぜか?
それを追うまえに、ある著名な詩人(芸術家)の詩をここに挟んでみる。
「十二月八日」
記憶せよ、十二月八日。
この日世界の歴史あらたまる。
アングロ・サクソンの主権、
この日東亜の陸と海とに否定さる。
否定するものは彼等のジャパン、
眇たる東海の国にして
また神の国たる日本なり。
そを治(しろ)しめしたまふ明津御神なり。
この日世界の歴史あらたまる。
アングロ・サクソンの主権、
この日東亜の陸と海とに否定さる。
否定するものは彼等のジャパン、
眇たる東海の国にして
また神の国たる日本なり。
そを治(しろ)しめしたまふ明津御神なり。
(以下、略)
この詩は、「帝国陸海軍は、本八日未明、西太平洋において、アメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」という開戦を告げる臨時ニュースを聞いて、奮い立った高村光太郎のものだ(これを「詩」といってよいものか?)。学生時代、高村のこの詩を吉本隆明の光太郎論で初めて知ったとき、これが「国語」教科書で習った「道程」と同じ人の作品かと当惑したことをおぼえている。芸術修業で欧米を直接体験し「白樺」文化人として出発した高村にあってさえ、戦時期にはこのザマだったのだ。
戦時期日本には、『万葉集』に、「日本精神」の根本や「ますらおぶり」などというものをないもねだりするように求め(『万葉集』自身にとっては迷惑なことだったろう)、仮構された「民族精神」を強調する書物があふれていたらしい。学徒出陣の青年たちの多くも岩波文庫の『万葉集』をポケットにしのばせ、避けられないおのれの死の意味を懸命にさがしていた。もちろんその時代を生きた小野十三郎も「万葉もの」に無縁ではなかったのだが、その一方で、工作技術に関する実用的な書物を同時に読み漁ったという。異質なふたつの種類の本が同居する「奇妙な本棚」……小野の自伝『奇妙な本棚』(1974年)にはそのかんの事情について、次のように書かれている。
「この作業教本(工業技術本)に見られるおよそ詩歌から遠い味もそっけもない注意書の言葉は、次元を異にすることによって一つの救いであった。『万葉集の精神』に危うく引きこまれそうになってハッと気がついたとき、わたしはこの種の作業教本や技術書にしがみついていた。だが、それとて万全ではない。大ていこの種の本には、産業報国とか工業報国とかいった威圧的な言葉をくりかえし強調してつづられたえらい人の序文がついている。」
科学技術に関する書籍に逃げ込んでも、その序文などで科学技術と無関係な精神主義的言辞がしつこく追いかけてくる。それをうるさく思った小野は次に、「やむなく辞書に眼をつけた。それも工員向けに書かれた『工業用語とその略解』というようなものを選んだ。」(同前)という。そうした小野の精神の姿勢の延長に、戦時下に発表された『大阪』、『風景詩抄』があったのだろう。連作「風景」のひとつに次のような詩がある。
「風景」(八)
暗い海と
入江のほとり
日本のこのしづかな原にも
鉄や電気や石油がきて休んでゐる。
あれは北亜米利加のどこだらう。
チャップリンの「モダンタイムス」で見た
あの葦原は大きかつた。
世界の大工場地帯の風景といふものは
お互ひになんとよく似てゐるのだらう。
地平は浮彫のやうに鮮明に
気候風土の靄(もや)がかからない
さびしさだ。
『風景詩抄』巻頭のエピグラムには、レオナルド・ダ・ヴィンチの「瞳は精神よりも欺かれることが少ない」が引かれている。社会全体をおおう精神主義に背を向け、小野は世界をまずよく「視る」ことに徹しようとした。そういう意味で、小野の向かうところはやわな「短歌的抒情」を寄せつけない物質としての工業地帯であり、そこに広がる世界を「情景」としてではなく「風景」としてとらえることをおのれに課した。葦原と鉱石の山が入り混じる河口の工業地帯を凝視するいとなみは、小野にとって「国内亡命地」をおのれの精神にかろうじて確保するぎりぎりの試みにほかならなかった。
「風景」(八)の作品に即していえば、「短歌的抒情」世界にとっては異物である「鉄や電気や石油」というゴツゴツした言葉をあえて詩に持ち込む戦略を立てた。かれの眼は、高村の「アングロ・サクソン/神の国たる日本」という単純きわまりない観念図式のはるか向こう、「敵国」もふくむ「世界の大工場地帯の風景」の普遍性のほうを見ている。だから、小野の眼前にひろがる「風景」には、短歌的抒情の別名である「気候風土の靄」はかかっていない。「靄」を突き抜けるその透徹した眼にとらえられた「地平」はどこまでも「鮮明」だが、世をあげて唱和されるひとつの歌に与せない孤独にある点で、その眼にはまた「さびしさ」もたたえられているのだろう。
そして、問題は、私(たち)の「現在」である。
(つづく)
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