「あなたの歌」 小野十三郎(1)
(前回のつづき)
小野十三郎がすこし気になるようになったのは、ずいぶん前のことだが、堀切直人『日本脱出』(1991年)のなかにあった次のような一節に触れてからだった。
「(日本の1930年代には)雪崩を打って押し寄せた軍国主義の圧倒的な勢いに負けて、多くの者(前の時代のリベラリストやヒューマニスト)は脆くも腰くだけとなり、片っ端から戦争協力者へと転身し、戦意発揚のための、みるも無惨なプロパガンダの量産に憂き身をやつす。……しかし、この時代の文学者の誰しもが国家の鉄の意志にふがいなく膝を屈してしまったというわけではない。逆に、その意志による強制を自らの精神鍛錬のための条件に転じ、外界から遮断された密室のなかで、どんな外圧をもはね返すような強靭な抵抗精神を自力で形づくるのに成功した文学者もまた、少数ながらまぎれもなく見出されるのである」。
『日本脱出』というタイトルは、戦時下日本における残された最後の抵抗として、精神の「国内脱出」を持続させた人たちを取りあげたところから来るものだが、その顔触れに、堀切は、金子光晴、花田清輝、林達夫、石川淳のほか、小野十三郎を挙げていた。金子らと比べ、小野については大阪在住の詩人であることくらいしか知らなかった私は「そういう人だったのか」と、そのときあらためてその名を記憶に刻んだ。そして今回、いくつかの詩作品と自伝などを読んでみると、時代状況は異なるとはいえ、「外界から遮断された密室」のような「場所」で独り言をつぶやきながら生息している私に響いてくる小野の言葉があった。そのいくつかを以下にメモしておこうと思う。
前回に紹介した、詩「拒絶の木」の一節「かんけいありません、あなたの歌にわたしは。」の「あなたの歌」とは、まずは、小野が詩論で繰り返し批判した日本の「伝統」とされる「短歌的抒情」のことをふまえたものであるのはまちがいない。その抒情は、たとえば四季の移ろいに感応する「繊細な感性」の表出といわれるようなものだろうが、それはまた一方で自然を観察し分析するもう一つの態度を「理」に走った「無粋」なもの、散文的な態度だとして退けてきたものでもある。自然に向って「なぜ」と問わないこの情緒的な態度は人間の社会や歴史に対しても「なぜ」を不問にし、ときに社会や歴史までも「自然」や「運命」に譬えてそれに解消することさえあった。いささか意地悪に言い換えれば、花鳥風月をめで花を手折る人が、「歴史的運命」に際会したとき、その同じ手で今度は人を手折ること(戦争)を平然となしたのである。小野のいう「あなたの歌」とは、日本詩歌の「伝統」だけにとどまらず、そうした日本の社会や歴史にたいする「伝統」的な態度まで見据えている。
闘う者たちの物語を綴った中島みゆき「ファイト」の一節には、(たぶん)駆け落ちして家を飛び出そうとして果たせなかった若者のくやしさが次のようにうたわれている。
「薄情もんが田舎の町に あと足で砂ばかけるって言われてさ
出てくならお前の身内も 住めんようにしちゃるて言われてさ
うっかり燃やしたことにして やっぱり燃やせんかったこの切符
あんたに送るけん持っといてよ にじんだ文字 東京行き」
ふだんは優しい顔をしている「田舎の町」も、そこからはみ出そうとする者を見つければ一転して、その者を排除し攻撃するのだ。それは「田舎の町」に限った話ではない。家族も、さまざまな社会集団も、地域も、国家も、この社会では、情緒共同体としての「ひとつの歌」=「あなたの歌」に唱和することを、ときには無言で(真綿のように締めあげ)、ときには大声で(暴力的に恫喝し)求めてきた。その大合唱にあらがったはみ出しもんが吐露する、「うっかり燃やしたことにして やっぱり燃やせんかった」、その最後の意地が切ない。小野十三郎の詩は、この「はみ出しもん」と烙印をおされた者たちの、ためらいや、くやしさや、口ごもりや、無様さのすぐそばにたたずんでいる。
(つづく)
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