忘れえぬ映画館(1)「祇園会館」
グーグル・ストリートビューで、以前訪れたところを「散歩」してみることが、ときどきある。
いまから50年以上も前のこと(1970年前後)、学生時代に親しんだ、京都のあの場所、この場所をたどってみたりもしたが、いずれの場所もその当時の面影はほとんどない。その歳月を思えば、それも当然のことだろう。
それでも、かつての「残り香」を求めて、パソコンのマウスを動かし続けている自分が、どこかいじらしい。
留年や転学部を重ね、人様の倍近く、大学に籍だけはおいていた(当時、国立大の授業料は月1000円、バイトすれば何とか支払えた)。授業にはほとんど出なかったが、バイトのない日は、街のそこかしこにある映画館によく足を運んでいた。
大学で所属したサークルも「映画部」(いわゆる「映研」)。中学生のころに映画の面白さに目覚め、高校のころには背伸びして「アートシアター」系の映画館にも出入りするようになっていた。それで、大学入学後、迷わず映画部に入ったわけだった。
さて、映画部に入ったといっても、私の場合、映画を自主制作することもなく(才能もなく)、あちこちの映画館を回って、学割で映画を観てただ楽しんでいただけだったのだが…。
また、映画サークルの活動資金をつくるため、大学の古びた講堂で(学生が自主管理していた)、映画の上映会などもときどき催していた。
その当時、映画はまだフィルムの時代。先輩から35ミリ映写機の扱いかたを教えてもらい、何とか「映写技師」の真似事くらいはできるようになった。配給会社から京都駅に届いた、缶に入ったフィルム(↓)をつめた包みを受け取り、それを抱えて市電に乗って大学まで運んだものだ。宅急便などない時代の話である。
映画フィルムのひと巻き(リール、reel)は、大体15分から20分くらい。だから2時間ほどの映画なら、フィルム巻数は全部で6~8巻ほどになる。観客席の後ろ、すこし高くなった映写室には映写機(↓)が2台並んで設置されており、二人一組で映写を担当する。フィルムひと巻きの映写が終わるタイミングで(スクリーンの画面右上に小さな点が出てくる)、隣の映写機にセットしておいた次のリールを回し始める。これを交互に繰り返しながら、映画全体を切れ目なくつないでいくのである。
さて、ここからが本題なのだが、よく出入りしていた映画館のひとつに「祇園会館」があった。
四条通りと東大路が交差する「祇園石段下」(八坂神社の楼門まえ)近く、東大路に面して、その映画館はあった。いま調べてみると、1958年に開館したという。私が大学に入学するちょうど10年前にあたる。
上の写真のとおり(画像をクリックすると鮮明な画像が出てくると思います)、建物正面には、京都ゆかりの女性芸能者「出雲阿国(いずものおくに)」をモチーフにしたタイル貼りの大きな壁画があって、「祇園」の風情にマッチしていた。その祇園会館は、2012年に映画館としての営業を終え、その後、吉本興業の「祇園花月劇場」となったらしいが、今年(2025年)の8月には吉本興業も営業を終えるという。寂しいことだ。
私が祇園会館によく出入りしていた頃(1970年前後)、Kさんという支配人がいた。40歳前後のかただったろうか。映画館の入り口で「○○大の映画部です」と言って、Kさんのおられる事務室に行き、しばらく談笑した後、入場券なしで映画をタダで観せてもらうのが「お約束」だった。どの大学であれ、映画好きの学生に親しく接してくれるKさんは、学生たち以上に映画好きだったのだと思う。また、大学で映画の上映会を企画した際、配給会社がフィルムの貸し出しを渋るようなことがあると、Kさんは間に立って配給会社と掛け合ってくれた。祇園会館で観た洋画も邦画も、今となってはほとんど覚えていないが、学生たちに優しく接してくれたKさんのことだけは忘れることはない。映画という世界の奥深さはもちろんのこと、人として大切なことまで教えていただいたように思う。
(つづく)
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