学徒兵「木村久夫」の遺書

 『真実の「わだつみ」 学徒兵木村久夫の遺書』という本(東京新聞、2014年)を読んだ。本の帯には次のように記されている。

「戦没学徒の遺稿を集めた『きけ わだつみのこえ』の中で特に重要とされる京大生・木村久夫の遺稿。

しかし、『わだつみ』に収録された遺書は、二つの遺書を合わせて大幅に編集されていた。知られざる「もう一通の遺書」を発掘し、改変を明らかにし……その二通の遺書全文を掲載し……木村の人生とその最期の思い、木村が戦犯に問われた事件の真実に迫る。」




 

 木村久夫は、1918年、大阪府吹田市生まれ。府立豊中中学(現豊中高校)、旧制高知高校(現高知大学)を経て、1942年4月、京都帝国大学経済学部に入学。43年に出征、インド洋のカーニコバル島に駐屯し、住民対策に当たる。終戦間際の45年7月、島であった「スパイ」事件の取り調べを命じられ、その時に拷問により死者を出したとしてシンガポールの戦犯裁判で死刑判決を受ける。46年5月23日、チャンギ刑務所で処刑執行。(同書より)

 

 木村は、死刑執行のひと月前、愛読書だった田辺元『哲学通論』を手に入れ、むさぼるように読み、そして、その本の余白に、死をまえにした自らの思いを書き綴った。ほんの一部だが、以下に引用する。

 

「私は生きるべく、私の身の潔白を証すべくあらゆる手段を尽くした。私は上級者たる将校連より法廷のおける真実の陳述をなすことを厳禁され、それがため、(住民拷問の)命令者たる上級将校が懲役、私が死刑の判決を下された。これは明らかに不合理である。

……

 もしそれ(木村の陳述)が取り上げられたならば、数人の大佐、中佐や、数人の尉官たちが死刑を宣告されるであろうが、それが真実である以上当然であり、また彼らの死をもって、この私が救われるとするならば、国家的見地から見て私の生のほうが数倍有益であることを確信したからである。

 美辞麗句ではあるが内容の全くない、精神的とか称する言語を吐きながら、内面においては軍人景気に追従し、物欲、名誉欲、虚栄以外には何ものでもない、われわれ軍人が過去においてなしてきたと同様、仮に将来において生きるも何ら国家に有益なことはなし得ないこと明白なることを確信するのである。

……

 彼(上級将校)が常々大言壮語して止まなかった、忠義、犠牲的精神、その他の美辞麗句も、身に装う着物以外の何ものでもなく、終戦により着物を取り除かれた彼らの肌は見るに堪え得ないものであった。

 この軍人を代表するものとして東条(英機)前首相がある。さらに彼の終戦において自殺(未遂)はなんたることか、無責任なること甚だしい。これが日本軍人のすべてであるのだ。

 

 しかし国民はこれら軍人を非難する前に、かかる軍人の存在を許容し、また養ってきたことを知り、結局の責任は日本国民全般の知能程度の低かったことにあるのである。知能程度の低いことは結局、歴史の浅いことだ。歴史に二千六百有余年か何かは知らないが、内容の貧弱にして長いことばかりが自慢なのではない。近世社会(近代)としての訓練と経験が少なかったのだと言っても、今ではもう非国民として軍部からお叱りを受けないであろう。 

 私の高校時代の一見反逆として見えた生活は、まったくこの軍閥的傾向への追従への反発に他ならなかったのである。

……」

 

 先にも書いたが、学徒兵、木村久夫が無実の罪でシンガポールの刑務所で絞首刑にされたのは、1946年5月23日朝、である。

 その数時間前、木村は、「いまだ三十歳に満たざる若き生命を持って老いたる父母に遺書を捧げるの不孝をお詫びする」から始まる、父母あての遺書(原稿用紙6枚の表と裏)を書き残している。遺書の末尾は、次のようである。

……

 私の命日は昭和二十一年五月二十三日なり。

 私の遺品もじゅうぶん送れないのは残念である。しかしできるだけの機会をとらえて、多くの人に私の遺品の一部ずつを頼んだ。その内の幾つかは着くであろう。英和、和英辞書、哲学通論、ズボン、その他である。

 ……

 もう書くことはない、いよいよ死に赴く。皆さま、お元気で、さようなら、さようなら。

一、 大日本帝国に新しき繁栄あれかし。

一、 皆々様お元気で、生前は御厄介になりました。

一、 末期の水を上げてくれ。

 

    辞世

 風も凪ぎ雨も止(や)みたり爽やかに

  朝日を浴びて明日は出でなむ

 

 心なき風な吹きこそ沈みたる

  こゝろの塵(ちり)の立つぞ悲しき

 

  遺骨は届かない。爪と遺髪とをもってそれに代える。

                        処刑半時間前擱筆(かくひつ)す      」

 

 

 この木村の遺書の前では、どんな言葉も贅言であろう。ただただ、「木村久夫」の名をわが胸に刻むだけである。合掌。




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