「戦争は知らない」
今年も、8月15日に、全国戦没者追悼式が日本武道館でおこなわれた。
毎年、その報道に触れるたびに、首相が読み上げる「式辞」の、ある決まった文言が気になるのだ。
その文言とは…。
「先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。
祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦場に斃れた方々…(略)
今、すべての御霊の御前にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。
今日の我が国の平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い命と、苦難の歴史の上に築かれたものであることを、私たちは片時とも忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念を捧げます。……」
「300万余の同胞の命が失われました」…「同胞」とあるが、そこに「帝国」の一部にされた朝鮮、台湾出身の兵士・軍属は入っているのか、ということは、いまは問うまい。
しかし、毎年繰り返される「今日の我が国の平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い命と、苦難の歴史の上に築かれたものである…」という文言が、私にはまったくわからないのだ。
食糧や弾薬の補給も絶たれ、いや、その計画もないまま強行された愚かな作戦のため、送りこまれた戦場で、多くの兵士らは、「祖国」(政府・軍部)をうらみながら、あるいは病死し、あるいは餓死したのである。その数は、230万人を超える戦死者全体の半数以上を占める、というではないか。
かれらの「尊い命」は、無責任で無謀な作戦を立案し強行した「祖国」(政府・軍)によって奪われたのだ(「特攻」作戦を含めてよい)。国家の戦争責任とは、対戦国や占領地(の人びと)にたいしてはもちろん、自国民にたいしても重くある。だから、戦没者に対し「衷心より、敬意と感謝の念を捧げます」という決まり文句は、毎年、聞いてあきれるのだ。そんな寝言をいうまえに、国家(政府)はまずもって、おのが過誤を反省し、その決意の表明として、自国民か他国民かを問わず、死者たちにたいして頭を垂れるのが、ものの順序というものだろう。
しつこいようだが、自分たちは安全な場所にいて無謀な戦争計画を立案し、作戦を強行した連中(その多くは戦後も生き延びた)と、前線で心ならずも、いや、国を恨みながら斃れた「戦没者」たちとを同列におくことは、ゴマカシだ。
そしてまた、そのような戦争「指導者」たちの暴走(犯罪)を許してしまった「国民」の責もまた、同時に問われなければならないのではないか。この私もまた、「新しい戦前」(タモリ)を生きる「国民」のひとりなのである。
カルメン・マキ「戦争は知らない」(1969年)
作詞者は、劇作家の寺山修司(1935-1983、享年47)。寺山の父も南方戦線で戦死している。「野に咲く花の名前は知らない」という歌詞があるが、この歌を学生時代に聴いたとき、私には、その「花」たちは、戦争で亡くなったたくさんの「父」たちの暗喩のように思われた。なお、カルメン・マキも、幼い時に、米国に帰った父と別れている。
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