飯田進『地獄の日本兵 ニューギニア戦線の真相』
戦争体験者が次々とこの世を去っている。1945年に20歳だった若者も、お元気なら、現在、100歳くらいである。
体験者が亡くなり、戦争の実相が見えにくくなると、その実相を知らない者たちが、兵士たちが「大義を尽くした」だの、「お国のために命を捧げた」だのと、おのれに都合のよい「戦争像」を捏造しかねない。いや、「特攻」の美化をはじめ、それはとっくに始まっている。
だから、戦争体験者(兵士だけでなく一般市民も)の話に耳を傾け、そこから何かを学びとる姿勢が、これまで以上に、大切になっていると、私は思う。世界各地で戦争が残忍なまでに露呈してきている現在、ほんとうに戦争(武力行使)の実相をいま一度見つめなければならないだろう。
亡父(1915年生まれ)は、徴兵検査後、そのまま中国戦線におもむいた(送られた)が、みずからの戦争体験について語ることはなかった。私も、それについてたずねることは憚られ、具体的な話は何も聞いていない。ただ、私が学生だった頃(1970年前後)、何かの拍子に、私が「社会を変革するためには、革命戦争が必要となる」と言うと、父から「何を馬鹿なことを言うか!」と激しく叱られたことがあった。いつも穏やかだった父から、叱られたことは、後にも先にも、このときだけだった。それくらい「戦争」体験者として、父はどんな名目であれ「戦争」を忌み嫌っていたのだと、あとから思ってみたのだった。私も、馬鹿なことを言ったものだと、のちに深く反省した。
そんなこともあって、その後、戦争体験者たちの手記(体験記)を読んでみるようになった。中国大陸、ビルマ、フィリピン、インドネシア、ガダルカナル、ニューギニア…そして、シベリヤのラーゲリ。
今回は、手元にある手記のひとつ、飯田進『地獄の日本兵 ニューギニア戦線の真相』(2008年、新潮新書)から、その末尾におかれた「おわりに」の一節を以下に引用してみたい。引用にどどめるのは、飯田さんの言葉の前では、どんな言葉も「きれいごと」になりそうだからである。
飯田進さんのプロフィールを本からそのまま引いておくと…。
「一九二三(大正十二)年京都府生まれ。昭和十八年二月、海軍民政府職員としてニューギニア島へ上陸。終戦後、BC級戦犯として重労働二十年の刑を受ける。昭和二十五年スガモ・プリズンに送還。現在、社会福祉法人「新生会」と同「青い鳥」の理事長。著書に『魂鎮(たましずめ)への道』など。」
では、飯田進『地獄の日本兵』の「おわり」の一節を、以下に引用します。
「(この本で)これまで、私の体験と元兵士たちの記録をたどって、ニューギニア戦線の実相を描いてきました。それは、勇敢敢闘したある兵士の物語ではなく、飢えて野垂れ死にしなければならなかった大勢の兵士たちの実態です。
重ねて強調しておきますが、これはニューギニアに限りません。太平洋戦争戦域各地に共通していたことなのです。二百数十万に達する戦没者の大多数が、本国から遠く離れて、同じような運命をたどらされたのです。
この酷いとも凄惨とも、喩えようのない最期を若者たちに強いたことを、戦後の日本人の大多数は、知らないまま過ごしてきました。この事実を知らずに、靖国問題についていくら議論しても虚しいばかりだと私は思います。この思いが、人生の終末を生きている私に、この原稿を執筆させる動機を与えたのです。
…(略)…
嫌なことを忘れることによって、人間は生き延びるのかもしれません。この習慣は個人には許されても、国家や民族には許されません。六十年前のことをすっかり忘れるような集団健忘症は、また違った形で、より大きな過ちを繰り返させるのではないかと危惧するからです。今日の日本を覆う腐敗や犯罪をもたらしている禍根は、ここに淵源していると私は考えています。
…(略)…
戦後、とりわけバブル景気華やかだったころ、数多くの戦友会によって頻繁に行われた慰霊祭の祭文に、不思議に共通していた言葉がありました。
『あなた方の尊い犠牲の上に、今日の経済的繁栄があります。どうか安らかにお眠りください』
飢え死にした兵士たちのどこに、経済的繁栄を築く要因があったのでしょうか。怒り狂った死者たちの叫び声が、聞こえて来るようです。そんな理由付けは、生き残った者を慰める役割を果たしても、反省へはつながりません。逆に正当化に資するだけです。
なぜあれだけ夥しい兵士たちが、戦場に上陸するやいなや補給を断たれ、飢え死にしなければならなかったのか、その事実こそが検証されねばならなかったのです。兵士たちはアメリカを始めとする連合軍に対してではなく、無謀で稚拙きわまりない戦略、戦術を強いた大本営参謀をこそ、恨みに恨んで死んでいったのです。
その大本営の参謀たちは、戦後どのような責任をとったのでしょうか。
…(略)…
私がスガモプリズンに送還されて間もないころに朝鮮戦争が勃発し、警察予備隊が発足したことは先にお話ししました。……旧軍人に対する公職追放令は解除され、職業軍人だった者たちが、続々と警察予備隊に入隊しました。それが今日の自衛隊の発端です。……職業軍人とは、昔でいえば武士です。武士道の最重要な規範に、恥を知ることがあります。同義語に名誉を尊ぶ、という言葉もあります。……運よく生き残って本国へ戻り、また勲章をぶら下げる軍人のどこに恥を知る心があったのでしょうか。
……
防衛庁が防衛省に昇格し、憲法改正のための国民投票が議論されているいまの日本に、最も求められている国民的課題は、六十年前に行った大戦の真相と、それを覆い隠してきた歴史的経緯を、しかと検証する営為だと私は思います。醜いはらわたは、明るみに出さねばなりません。……腐臭に満ちた日本の道徳的、倫理的再建の糸口もまた、そのような営為を通してのみ、見出される筈だと、私は自責の念を込めて思うのです。
そのために、自らの行為も敢えて曝しながら、この原稿をまとめる作業をしてきました。『あの戦争は酷かったんですね』という感想で終わることを、深く懸念しているからです。」
(以上、引用おわり)
飯田進さんは、障害児の福祉事業活動に取り組むかたわら、この本の他にも何冊か本を書き、戦争の悲惨さを訴え続けたが、2016年10月にお亡くなりになった。93歳だった。
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