永井荷風『濹東綺譚』(1)

作家・永井荷風(1879ー1959)は、前回取り上げた金子光晴より15歳ほど年上になる。

その荷風に、小説『濹東綺譚』(1937年)がある。「濹」は「墨田川」のことで、「濹東」、つまり墨田川の東、向島にあった私娼窟「玉の井」(旧・向島区寺島町、現・墨田区東向島)を舞台にした物語である。

私が初めて「玉の井」を知ったのは、滝田ゆうの漫画『寺島町奇譚』によってであった(↓ 入り組んだ路地に「銘酒屋」が軒を連ねている)



 







その作品は、私が学生であった1960年代末、『ガロ』という漫画雑誌に連載されていた。戦争の時代を背景に、主人公の少年キヨシの目をとおして、色街に生きる人々の日常が哀歓こもごも描かれていた。そこがどんなところだったのか、その残り香に触れてみたいと思って、東京に出かけた折に、旧「玉の井」まで足を運び、その一帯を歩いてみたこともあった(上野から京成電車に乗って、「フーテンの寅さん」の「柴又」も同じ日に訪ねたように記憶するのだが…)。

 

荷風の『濹東綺譚』を読んだのは、旧玉の井を歩いてからしばらく後のことになる。滝田ゆうは、玉の井をその内側で生きた人だが、その滝田も、「外の人」とはいえ「玉の井」を愛した荷風に親近感をいだき、自作に同じく「奇譚」の二文字を入れたのだろうかとも思った。

50年前、20歳そこそこの私が『濹東綺譚』(岩波文庫)をどんなふうに読んだのか、よくは覚えていないが、木村荘八の挿画には惹かれるものがあった。

(↓ 驟雨のなか、「いきなり後方(うしろ)から、「旦那、そこまで入れていってよ。」といいさま、傘の下に真白な首を突込んだ女がある。」 玉の井の女「お雪」との出会いの場面。画・木村荘八



 





今回改めて読み返してみて、小説の主人公(作家・大江匡)に託した荷風の姿勢が、作品の端々から伝わってきた。それは、金子光晴の場合と同じく、時代と社会に流されず、己を貫いて生きる身構えのようなものだ。心に留まった個所を少し引用してみたい。

 「公明なる社会の欺瞞的活動に対する義憤は、彼(主人公)をして最初から不正暗黒として知られた他の一方に馳せ赴かしめた唯一の力であった。つまり彼は真白だと称する壁の上に汚い種々(さまざま)な汚点(しみ)を見出すよりも、投捨てられた襤褸(らんる、ボロ着)の片(きれ)にも美しい縫取りの残りを発見して喜ぶのだ。正義の宮殿にも往々に鳥や鼠の糞が落ちていると同じく、悪徳の谷底には美しい人情の花と香(かんば)しい涙の果実がかえって沢山に摘み集められる。」

こういう荷風の思いが、彼をして、世間では「悪徳の谷底」と見なされもするが、そこに「正義の宮殿」にはない「美しい人情の花と香しい涙の果実」を見い出し、色街「玉の井」に向かわせたのである。

して付言すれば、荷風は、そのような己の思念にただ酔っていたのではない。

荷風は『断腸亭日乗』と名づけた日記(以下、『日乗』と略す)を、39歳のとき(1917年)から、79歳、死の前日(1959年)まで書き続けた。その日記に、次のような記事がある(1949年6月18日)。

「(浅草の芝居小屋からの帰り道)独り電車を待つ時、三日前の夜、祝儀若干を与へたる街娼に逢ふ。その(女の)経歴をきかむと思ひ吾妻橋上につれ行き暗き川面を眺めつつ問答すること暫くなり。今宵も参百円ほど与へしに、何もしないのにそんなに貰つちゃわるいわよと辞退するを無理に強ひて受取らせ、今度早い時にゆつくり遊ぼうと言ひて別れぬ。年は廿一、二なるべし。その悪ずれせざる様子の可憐なることそぞろに惻隠の情(同情)を催さしむ。不幸なる女の身上を探聞し小説の種にして稿料を貪(むさぼ)らんとするわが心底こそ売春行為よりもかへつて浅間しき限りと言うべきなれ。」

贅言は無用であろう。荷風の批評は、こうした自己批評に裏打ちされたものであった。銀座の高級クラブに通って、鼻の下を伸ばしているような、どこぞのオヤジ・ジジイでは決してない。

 

(つづく)

コメント

  1. 通りすがりのものですが、興味深く拝読しました。よみながら、台湾が舞台の小説
    https://www.amazon.co.jp/%E5%B0%8F%E3%81%95%E3%81%AA%E5%A0%B4%E6%89%80-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-27-3-%E6%9D%B1%E5%B1%B1-%E5%BD%B0%E8%89%AF/dp/4167919885/ref=pd_lpo_sccl_2/358-8028038-7952000?pd_rd_w=o640F&content-id=amzn1.sym.c9d355d3-7242-4c45-8731-d024dd5a0fb6&pf_rd_p=c9d355d3-7242-4c45-8731-d024dd5a0fb6&pf_rd_r=RQ4VM3KWT29E88TCGQSP&pd_rd_wg=ZuFfh&pd_rd_r=76af8f04-6643-46db-9c5b-ca5e878c81a0&pd_rd_i=4167919885&psc=1
    のことが思い出されました。
    井の中の蛙 大海をしらず
    されど 空の青さを知る
    せめて、私は、空の青さを知る人間でありたいなあ、と思っています。
     乱筆多謝

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    1. 東山彰良さんのことも、彼の作品のこともはじめて知りました。それこそ「空の青さ」を知らない、ただの「井の中の蛙」の私でした。ご教示、ありがとうございました。『小さな場所』、読んでみようと思います。お元気でお過ごしください。

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