「忘れてたものは やさしいでしょう…

歌手の「おおたか静流(しずる)」さんが、9月5日に亡くなったということを訃報記事で知った。69歳だったという。

私がもっている音楽CDの一枚に、彼女のカバーアルバム『恋文』(2002年)がある。収録曲は、「京都慕情」「蘇州夜曲」「悲しくてやりきれない」「スカボロー・フェア」「サヤ・ドリーム」「花」「上を向いて歩こう」「みちづれ」「何日君再来」「ゴンドラの唄」「みんな夢の中」……どれもすばらしい! カバーとは、コピーの謂いではない。アレンジもふくめてすべてを「おおたか静流」の曲にしている。初めてそのアルバムを聴き終えたとき、タイトルの「恋文」とは、何よりも、これらの楽曲にたいする彼女からの「love letter」の意であろうと得心した。

たとえば、フォーククルセダーズの「悲しくてやりきれない」(1968年)への、静流さんの「恋文」は次のようである(音源は「REPEAT PERFORMANCE」版)




ところで、おおたか静流さんの逝去を知ったあと、YouTubeで、彼女の歌をもう少し聴いてみたくなってさがしていると、「琵琶湖周航の歌」が出てきた。この歌も、うたっていたんだ! はじめて知った。テレビ番組(NHK「名曲アルバム」?)を収録したその動画(↓)は、いくらか雑音が混じってはいるものの、それでも静流さんの「声」ははっきり聴きとることができた。加えて、その歌が百年後のいまに、こうして歌い継がれていることの背景が、テロップで簡潔に説明されているので、ありがたくもあった。



「琵琶湖周航の歌」はもともと
6番まであるが、それをうたう歌手たちの多くは、「尺」の関係からか、「竹生島(ちくぶしま)」をうたう4番(「…眠れ乙女子(おとめご) 安らけく」)止まりにしている。しかし、静流さんは、3番と5番は飛ばしても、おしまいの6番(↓)は落とさず、しっかりうたい上げている。そのことも本当に好ましい。

「西国十番(*) 長命寺

 けがれの現世(うつしよ) 遠く去りて

 黄金の波に いざ漕がん

 語れ我が友 熱き心

(*)正しくは「三十一番」だが、歌としては「十番」としたらしい。


歌全体の結びにあたる「語れ我が友 熱き心」の一節にこそ、ともにオールを手にしてボートを漕ぎ、4日をかけて琵琶湖周航をやり遂げたということの「すべて」が結晶されている。この6番を落としたら、歌は別物となる。

ところで、私が「琵琶湖周航の歌」をはじめて知ったのは、「悲しくてやりきれない」がラジオからよく流れていた1968年春、大学に入学して間もない頃だった。そして、授業が一巡した4月下旬のある朝、下宿からキャンパスに向かって自転車をこぎ出した私は、快晴の空に誘われるように、いや、特段の理由もなく、ふと琵琶湖行きを思い立ったのだった。

京都の街から、蹴上(けあげ)~逢坂ごえの国道1号線を、つぎつぎと追い抜いていくトラックの排ガスを浴びながら、通学用に購入したばかりの、変速ギアもない中古自転車を息を切らせながらこぎ続けた。そして、やっとたどり着いた「志賀の都」(大津) の湖岸に寝転がり、湖のうえに広がる青空を見上げながら、覚えたてのその歌をひとり口ずさんだ。授業を放棄して(サボって)、いま琵琶湖に来ているというそのことがどこか清々しく、これが「自由」というものかと心が高ぶった。その日から怠惰な学生生活が始まったともいえるが、振り返れば、もっと深いところで、私の「いま」へと続くことになる「何か」が起きた、記念すべき日であったかもしれない。

「琵琶湖周航の歌」を聴くと、あの日、見上げた空の青さと湖を渡って吹く風と、そして、ボートのオールこそ手にしなかったものの、肩を組んでその歌を(あるときは「インターナショナル」を)、ともにうたった今は亡き「我が友」の姿が思い浮かぶ。


最後に、もう一曲。

私がもっている静流さんのもう一枚のアルバム「TWIN PERFECT ALBUM」にも収録されている、「風の中に」。

              



「そっと そっと 風の中に

 懐かしい唄が聞こえるでしょう

 遠い小径 草の緑

 忘れてたものは やさしいでしょう

 ……


 おおたか静流さん、どうか安らかに……

  




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