「忘れてたものは やさしいでしょう…
歌手の「おおたか静流(しずる)」さんが、9月5日に亡くなったということを訃報記事で知った。69歳だったという。
私がもっている音楽CDの一枚に、彼女のカバーアルバム『恋文』(2002年)がある。収録曲は、「京都慕情」「蘇州夜曲」「悲しくてやりきれない」「スカボロー・フェア」「サヤ・ドリーム」「花」「上を向いて歩こう」「みちづれ」「何日君再来」「ゴンドラの唄」「みんな夢の中」……どれもすばらしい! カバーとは、コピーの謂いではない。アレンジもふくめてすべてを「おおたか静流」の曲にしている。初めてそのアルバムを聴き終えたとき、タイトルの「恋文」とは、何よりも、これらの楽曲にたいする彼女からの「love letter」の意であろうと得心した。
たとえば、フォーククルセダーズの「悲しくてやりきれない」(1968年)への、静流さんの「恋文」は次のようである(音源は「REPEAT PERFORMANCE」版)。
「西国十番(*) 長命寺
けがれの現世(うつしよ) 遠く去りて
黄金の波に いざ漕がん
語れ我が友 熱き心
(*)正しくは「三十一番」だが、歌としては「十番」としたらしい。
歌全体の結びにあたる「語れ我が友 熱き心」の一節にこそ、ともにオールを手にしてボートを漕ぎ、4日をかけて琵琶湖周航をやり遂げたということの「すべて」が結晶されている。この6番を落としたら、歌は別物となる。
ところで、私が「琵琶湖周航の歌」をはじめて知ったのは、「悲しくてやりきれない」がラジオからよく流れていた1968年春、大学に入学して間もない頃だった。そして、授業が一巡した4月下旬のある朝、下宿からキャンパスに向かって自転車をこぎ出した私は、快晴の空に誘われるように、いや、特段の理由もなく、ふと琵琶湖行きを思い立ったのだった。
京都の街から、蹴上(けあげ)~逢坂ごえの国道1号線を、つぎつぎと追い抜いていくトラックの排ガスを浴びながら、通学用に購入したばかりの、変速ギアもない中古自転車を息を切らせながらこぎ続けた。そして、やっとたどり着いた「志賀の都」(大津) の湖岸に寝転がり、湖のうえに広がる青空を見上げながら、覚えたてのその歌をひとり口ずさんだ。授業を放棄して(サボって)、いま琵琶湖に来ているというそのことがどこか清々しく、これが「自由」というものかと心が高ぶった。その日から怠惰な学生生活が始まったともいえるが、振り返れば、もっと深いところで、私の「いま」へと続くことになる「何か」が起きた、記念すべき日であったかもしれない。
「琵琶湖周航の歌」を聴くと、あの日、見上げた空の青さと湖を渡って吹く風と、そして、ボートのオールこそ手にしなかったものの、肩を組んでその歌を(あるときは「インターナショナル」を)、ともにうたった今は亡き「我が友」の姿が思い浮かぶ。
最後に、もう一曲。
私がもっている静流さんのもう一枚のアルバム「TWIN PERFECT ALBUM」にも収録されている、「風の中に」。
「そっと そっと 風の中に
懐かしい唄が聞こえるでしょう
遠い小径 草の緑
忘れてたものは やさしいでしょう
……
おおたか静流さん、どうか安らかに……
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