ブルーズと「南無阿弥陀仏」と ...その(1)
☆ ブルーズのなかの「悪魔」
伝説のブルーズミュージシャン、ロバート・ジョンソン(1911ー38)に、”Me and the Devil Blues”という曲がある。朝早くドアをたたく悪魔に起されて、男はその悪魔(デビル)と連れ立って、不実な女の家に乗り込む。そして去り際に、彼女に告げて言う。「俺の死体はハイウェイのそばに埋めてくれ、俺の邪悪な魂がグレイハウンドバスに乗ってさまようから」。
このような歌なのだが、「悪魔と連れ立って」とか「邪悪な魂」とかいう歌詞が、前からすこし気になっていた。男にとって「悪魔」は、否定されるべきもの、忌むべきものというより、むしろ、上のアニメーションに描かれているように、自分に親しいもの、分身のようなものとして捉えられているように感じたからである。
☆ アメリカ黒人(アフリカ系アメリカ人)にとっての「悪魔」
ウェルズ恵子『魂をゆさぶる歌に出会う アメリカ黒人文化のルーツへ』(2014年)を読んでいると、次のような一節が目にとまった。それを読んで、ブルーズにしばしば「悪魔」が登場することの意味について、やっと理解の手がかりを得たように思った。
「黒人の英語では〝bad〟が〝good〟の意味になることがあるのです。…ことばの意味の二重性は価値観の逆転から発生していて、それは奴隷制度時代にまで起源をさかのぼれるでしょう。考えてもみてください。早起きする、よく働く、正直だ、素直だというような『よい』性質を身につけて、奴隷は幸せになれるでしょうか。どんなに働いても利益は主人が得てしまい、彼らは死ぬまで働かされるだけなのです。…つまり主人側の価値観で『よい』ことは、奴隷側には『悪い』ことです。ひるがえって、仕事の手を抜いたりその場しのぎの言い逃れをするのは、奴隷にとっては知恵を使った行動、生きのびるための『よい』行動になります。このような複雑な社会背景が、〝bad〟という単純なことばの、黒人特有の意味の二重性に隠されているのです。」
そうだとすれば、〝good〟とは、奴隷制度を温存し優雅に暮らす白人農園主たちにとっての好都合な「価値」、という意味でしかない。したがって、白人たちがのたまう「神」に見放されているという思いをぬぐえぬ奴隷(黒人)たちにとってみれば、同じく「天国」から追放された「悪魔」は、どこか親近感を覚える仲間でもある。だから、ロバート・ジョンソンは、みずからのブルーズ=鬱屈を、「悪魔」とともに歩む「地獄」への道行きとして深いため息のなかで歌ったのだ。もちろん、この「地獄」という言葉にも、〝bad〟の場合と同様に、意味の二重性が隠されているはずであり、それは反転して、自身の「ダメさ」も「やりきれなさ」も笑い飛ばしてしまう「生きのびる力」の源泉になるものでもあろう。
(つづく)
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