『おつかれさま』と言ってみる このボクに…

「隠居暮らし」を始めて、まる5年が経った。長かったような、短かったような…。

退職してからしばらくの間は、急に手にした「自由時間」?に戸惑い、何か「有意義なこと」をしなければなどと、すこし焦っていたところもあった。せっかく自由の身になれたのに、長年の習性に引きずられて、ただボーッと無為に過ごすことにためらいもあり、またどうふるまえばいいか戸惑いもあったのだろう。

いま「自由の身になれた」と書いたが、この「自由」はいささか厄介なものでもあった。仕事に追いかけられていたときは、(私の場合)それに紛れて自分と向き合わずにやりすごせていたところもあったのだが、明日までにやっておかねばならない仕事もなく、誰とも話さずひとりぽつねんと過ごす身になってみると、四六時中とはいわないが、いやでも自分と向き合う時間が増えてしまう。これはこれで、つまり「自由の身」も、なかなかシンドイことである。

こうした自分を取り巻くうちそとの環境変化にも、徐々に適応してきたのだろうか、最近では、「あまり難しく考えても仕方ないよなあ」と、この無為徒食の日々を素直に受け入れ(開き直り?)、楽しんでいる(ゴマカシ?)ようなところも出てきた。

この私を含む「ふつうのひとびと」は、口には出さないにせよ、いつだって何かしら答えのない悩みや、出口のない屈託を抱えて生きているはずだから、現役/引退の二分法で人生を色分けすることは、土台無理な話だろう。結局、最近ようやくわかったことは、誰にとっても「その日」まで泣き笑いの人生は続くのだ、というごくごく単純で当たり前のことだった。

ところで、ここ1年くらいのあいだ、暇に飽かせて、読み散らかしたままの本をもう一度本棚から引っ張り出して読み直したりしている。『須賀敦子全集 第1巻』(河出文庫版、2006年)もそうした一冊だが、そのなかに、よく知られた「ミラノ 霧の風景」「コルシア書店の仲間たち」と並んで、ある雑誌の連載をまとめた「旅のあいまに」があった。その一つに次のような話があって、思わずハッとさせられた。

須賀さんが親しくしていた、年長のフランス人修道女がいた。彼女は、1960年代の終りにフランスでおこなわれた教会改革に従って、長い間なじんだ修道服を脱いでブラウスとスカートという一般的な服装をすることになった。以下、少し長くなるが本文を引用する。

「ブラウスとスカートという『ふつうの』よそおいになったけれど、その『使用前・使用後』の時期の精神的な落差が、彼女の場合、すくなくとも私にはほとんど感じられなくて、そのことでも私は彼女を尊敬した。人生は、どうしても妥協するわけにはいかない本質的に大切なものがすこしと、いいよ、いいよ、そんなことはどっちでも、で済むようなことがどっさり、とでなりたっていて、それを理性でひとつひとつ見きわめながら、どちらかをえらんでいくものだ、といった生き方を、あらためて彼女のなかに見た気がしたのだった。」

私がこの一節にハッとしたのは、私の場合、その修道女と違って(比べるのもおこがましいのだが)、「本質的に大切なもの」と「そんなことはどっちでも、で済むようなこと」とを区分けできないまま、「どっちでもいいこと」にこだわって自他に突っかかり、自分で自分を振り回してきたのではなかったかと、思わず省みたからである。言い方をかえれば、自分にとって「本質的に大切なもの」がよく見えていなかった、見ようとしていなかったいうことになる。もちろん、それは私の若い時にかぎった話ではなく、その後の職業生活から隠居ぐらしの現在に至るまで、省みれば、そんなことをくり返してきたように思う。自分を振り回しただけならまだしも、ひとを巻き込んでしまったこともあったはずだ。

「覆水盆に返らず」。

ならば、私にとってどうしても妥協するわけにはいかない本質的に大切なもの」が見えてきたわけではないにせよ(見えてくる日が来るのだろうか?)これからの自分にすこしは期待してみるほかない。先に、「その日」まで泣き笑いの人生は続く、と書いたのは、こういう意味においてである。

「悠々自適」の境地など求めなくていい。老いの日々を、身から出た錆も、向こうから不意にやってくる出来事も、全部抱えてジタバタと生きていくのも、また「私らしい」ではないか。「理」だけでわかったつもり、悟ったつもりになるよりも、そこからこぼれていく「わからなさ」をそのまま抱え、持て余し気味のこの自分と付き合っていく、それしかないよなあ…そんなふうに思うようになった。

そして、「その日」に、親しい人たちには「ありがとう」と感謝を、また自分に向かっては「おつかれさまでした」と慰労を、笑って伝えることができたなら、それ以上のことはない。

 

「悪いことばかりじゃないことも 人生で

 物語はまだまだ続くよ さあ行こう

 その夢も不安も闘いも これからだから

 『おつかれさまです』と言ってみる このボクに

 ……

(「おつかれさまの国」作詞:一倉宏)





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