”永遠の嘘をついてくれ” (老いの繰り言2)
先日、久しぶりに歯科医院に行き、まえから調子の悪かった歯に「別れ」を告げた。
抜いた歯を医師が見せてくれたが、歯根はずいぶんとやせ細っていた。ついさっきまで自分の身体の一部であったそれを見て、「長いあいだ、ご苦労様でした」と、思わず心のなかでつぶやいていた。
これもまた「老い」の感懐というものか。
老いも死も「生」の延長にあることを思えば、衰えゆく心身の変化も、わが生の「いま」だと受け容れるほかはない。
ところで、唐代の詩人、杜甫(712ー770)といえば、中学ではじめて漢詩なるものを習った「春望」がまず思い浮かぶ。その当時の私がそれを読んで何を感じたかは記憶にないが、「白頭」となった60年後のいま、時代相はちがっても、心に響いてくるものはたしかにある。
「国破れて山河在り/城春にして草木深し/時に感じては花にも涙を濺(そそ)ぎ/別れを恨んでは鳥にも心を驚かす/烽火 三月に連なり/家書 万金に抵(あた)る/白頭 掻けば更に短く/渾(す)べて簪(しん)に勝(た)えざらんと欲す」。
杜甫は、政治腐敗(玄宗の楊貴妃寵愛)、戦乱(安禄山の乱、周辺国との紛争)の時代に、政治に賭け、それに裏切られ、家族との離別、放浪の日々を余儀なくもされたが、それでも絶望の半歩手前に踏みとどまり、「人人は、その善意をはたらかせあうことによって、よい社会を作り得るのであり、人人はその方向にむかって努力すべしとする思想」をけっして手放さなかったという(吉川幸次郎、『中国詩人選集9 杜甫』跋)。
その杜甫に、次のような詩があることをつい最近知った(前掲書)。
「衛八処士に贈る」という題の詩だ。
(…「衛八」は杜甫の友人の姓名、「処士」は「官につかず家居するものをいう」とのこと。)
人生 相い見ず
動(やや)もすれば参と商との如し
今夕(こんせき)は復(ま)た何の夕べぞ
此の灯燭(とうしょく)の光を共にす
少壮 能く幾時ぞ
鬢髪(びんぱつ) 各々已(すで)に蒼たり
旧を訪えば半ばは鬼(き)と為(な)る
驚呼(けいこ)すれば中腸(ちゅうちょう)熱(’ねつ)す
…(中略)…
主は称す 会面は難しと
一挙に十觴(じつしょう)を累(かさ)ぬ
十觴も亦た酔わず
子の故意の長きに感ず
明日(めいじつ) 山岳を隔てなば
世事 両つ(ふたつ)ながら茫茫(ぼうぼう)
訳注者の黒川洋一氏は、この詩をつぎのように訳出している。
「人生において別れた友にふたたびあうことがむずかしいことは、ともすれば参星と商星(天空の東西にそれぞれ隔ててある星)が一つ空にあい見ることのないのに似る。ところが今宵はなんとまたよい晩なのであろう。この一つ灯火の光をあなたと囲んでいるとは。若く盛んな日はいつの間にか過ぎ去り、鬢や髪の毛はおたがいゴマ塩になってしまった。昔の仲間を訪ねてみると半分は故人となっている。私は驚き叫んではらわたのなかが熱くなるのだ。
…(中略)…
主人のあなたは言う、「会うことはなかなか容易ではない」と。そして一息に盃(觴)十杯をつづけざまに飲む。十杯の盃を重ねても私は酔いはしない。ただあなたの古い友情のいつまでも変わらぬことに心打たれるのだ。明日ともなりお互いに山を隔ててしまったならば、山のこちらとあちらと両方とも世の営みははかり知られなくなってしまうことであろう。」
旧友との再会が困難であった背景には、もちろん戦乱という時代がある。だから友と語らうことのできたそのひとときは、杜甫にとってもかけがえのないものであっただろう。前回引用した陶淵明の詩といい、今回の杜甫の詩といい、1300年をこえる長い時間を隔ててそれらの詩が、私のこころに響いてくるのは、一体どうしてなのか。
時代や社会という移ろいゆく「意匠」を超えて、彼らの言葉がいまを生きる「ひと」の喜怒哀楽のひだに分け入ってくるからでもあろうが、それ以上に、何よりも彼らが、日々直面する厳しい状況にあって、絶望の淵に立たされても、それでも、「ひと」という存在とその未来を信ずること、そしてそのように「ひと」を信ずる自分をも信じて生きることを、みずからにしずかに言い聞かせる声が、悲嘆や憤怒の言葉のあいだから、低くこぼれ伝わってくるからではないか。言いかえれば、ひとりひとりの「ひと」がいて、そのひとりひとりにその「ひと」の、いのちと人生があるのだ、という声が聞こえてくるのである。
さて、無為の日々を送る私ではあるが、杜甫の「衛八処士に贈る」を読み、ふと「故意の長きに感ず」る友を訪ねてみたくなった。「鬢髪 各々已に蒼た」る歳を思えば、そうのんびりと構えてばかりはいられない。
「友」といえば、やはりこの歌か(↓)。その歌いっぷりはもちろん、みゆきさんのたたずまいが、その歌にふさわしく際立ってすがすがしい。(消されるまえに…)
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