「宿命とは、しばしば、我々が意欲し足りないものである。」 渡辺一夫(5)

ここまで、渡辺一夫のユマニスムをめぐる思索が、フランス・ルネッサンス研究と不可分のものであったこと、そして、その研究は、研究のための研究ではなく(これこそ、渡辺の言う「人間が機械になっていること」に他ならないだろう)、渡辺が生きる時代と社会に、みずから向き合うための切実な課題としてあったということを、門外漢なりにまとめてきた。

渡辺は、ドイツの作家、トーマス・マン(1875-1955)がナチスドイツから追放され、スイスでの亡命生活を余儀なくされていた時期に書いた『ヨーロッパに告ぐ』(フランス語版、1937年)を、空襲の激化する1945年春からひそかに訳しはじめ、敗戦直前の7月にはその作業を終えていた。のちに渡辺は、「(自分も戦争で死ぬだろうと思っていたが)『一億玉砕』するにしてもマンを識っている人間が一人でも二人でも生き残れば、すべての可能性は保持されると思った」と、その訳稿を後世に託そうとした思いについて振り返っている。1946年、敗戦の翌年に刊行されたその訳書についてもいずれ触れてみたいが(日本語版のタイトルは『五つの証言』、中公文庫))、今回の「渡辺一夫ノート」はひとまず、ここで終わりにする。

 

最後の最後に、これまで取り上げてきた渡辺の著作から、どこかを引用して結びたいと思ったが、考えさせられるところが多く結構迷った。次の文はどうだろうか。

 

「ーー宿命とは、我々の意欲するものである。また、更にしばしば、我々が意欲し足りないものでもある。

 このロマン・ロランの言葉が正しく理解されない限り、すべてが自業自得でけりがつくかもしれないと思う。そして、このようなことを言う私の気持には、多分に日本的ニヒリズムの翳(かげ)がさしている。そして、私は、この日本的ニヒリズムの機械になるのもいけないと、自分に言いきかせているのである。」

うえの引用は、渡辺一夫「人間が機械になることは避けられないものであろうか?」(『狂気について』所収)の末尾の一節である。これが書かれたのが、敗戦からわずか3年後の「1948年」であったということを銘記しつつ、ロマン・ロランのその洞察をもって、まずは私自身への戒めとしたい。


(おわり)



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