モンテーニュ「人食人について」 渡辺一夫(3)

コロンブスの新大陸「発見」(1492年)は、ヨーロッパのほとんどの人びとにとっては、それが富の獲得ー植民地収奪ーを意味することでしかなかったが、その新たな経験をとおして、それまでのヨーロッパ中心の世界観、自己像を見直す思索を始めた少数の人びとがいた。そうした一人に、モンテーニュ(1533ー1592)がいた。

渡辺は、『ヒューマニズム考』(1973年)で「新大陸発見とモンテーニュ」という章をおいている。これは、渡辺が1947年に書いた「モンテーニュと人喰人」(『狂気について』所収)を下敷きにしたものだと思われる。

「コロンブス以後、アメリカ大陸へ渡った各国のヨーロッパ人たちの報告によって、キリスト教徒であるヨーロッパ人よりも、アメリカ大陸の土着民のほうが、はるかに人間として温和であり、キリスト教徒以上にキリストの精神を体得しているらしいばあいがあるということが、しばしば伝えられるようになっていた」。

ヨーロッパ本国では新旧両派が血を血で洗う宗教戦争を繰り返し、また新大陸でもヨーロッパ人が現地住民を虐殺していることを省みれば、「野蛮」「未開」であるのは、むしろ自分たちヨーロッパ人のほうではないのか。そういう自己省察が始められた。それもあって1537年には、ローマ教皇は「インド人や黒人や「アメリカ大陸の土着民たちを、『本当の人間』と認めることにする、という旨を布告したと伝えられている」。(『ヒューマニズム考』)

つまり、新大陸の「発見」とは、ヨーロッパ人にとって、それまでキリスト教徒である自分たちのみを人間とし、そのうえに築いてきた世界観、自己像の歪みを「発見」する(気づく)内的経験でもあった。渡辺は、そこにも、ユマニスムの起源、つまり「相対主義的思考の発生」を見るのである。他者の発見は、ひるがえって自己を発見することであり、それはまたたえざる自己省察を促し、自己の抱いてきた「人間像」を訂正させ、深化させていくことにつながる。

 いま、モンテーニュの「人食い人たちについて」(『エッセー』第1巻31章、荒木昭太朗訳、中公クラシックス)をぱらぱらと見ると、「わたしが悲しく思うのは……彼ら(現地の人びと)の種々のあやまちを調子よく裁きながら、われわれが自分たちの種々のあやまちについてはこれほどにまで盲目でいるということなのだ」という記述がたしかにある。 

「己の野蛮性を自覚するところに、文明人の第一歩があるとすれば、ヨーロッパ人は、モンテーニュのごとき人物を持つことによって、文明人の資格を与えらえたのである」。(渡辺「モンテーニュと人喰人」)

ヨーロッパ人は 「己の野蛮性を自覚する」ことをとおして「文明人の第一歩」を踏み出していった。もちろん「文明人への道」は平坦なものではない。16世紀以降も、自己省察を欠いた不寛容=自己絶対化に起因するさまざまな争いごと、差別抑圧は絶えることはなかった。いや、それはいまだ続いている。ユマニストたちの思索は、だから現在も参照されねばならない。

「新大陸」ならぬ、「アジアの大陸、半島、島々」(北海道、沖縄を含めてもよい)を「発見」した「わが同胞」たちは、そこで本当に他者と出会ったのだろうか、そして「自分たちの種々のあやまち」を見つめて、「文明人の第一歩」を踏み出そうと努めてきたのだろうか。ユマニスムはたえず「現在形」の思索をを私たちに要請する。

 

(つづく)

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