”私たちはここにとどまる。ここは私たちの家だから。”
ブログをこちらに開設してちょうど一年がたつ。
記事を振り返ってみると、それが「読書ノート」であっても、わが身の「来し方行く末」を思う私の今が色濃く投影されている。わが人生がいま、晩秋なのか初冬なのか、はたまたその先をすでに行っているかはわからないが、そういう「季節」の色合いは、当然、記事にも映じているだろう。
テレビのサプリメントCМは中高年層に向けて「いつまでも若々しく」と脅迫するが、しかし、青春なるものも、またなかなか酷な季節であったと顧みない者はいないはずだ。生きる喜び、悲しみは、その内実はちがえ、老若のまえに「平等」にある。であるなら、老若が手を取り合って進むことのできる社会が構想されるべきだろう。
さて、本ブログは、一年前の夏、香港で澎湃として高まった市民運動に触発されて始めたところがある。このところ、かの地で自由と民主主義を求める人びとが「収監」されたことを伝える報道に心が痛む。
下の動画は、2か月前のレポートのようだが、「国家安全維持法」が成立してから(2020年6月)、香港では、self-censorshipが人びとのあいだにじわじわと拡がっていることを伝えている。恐怖政治は、いつの時代も、どこにおいても、社会の構成員に、自己検閲、「権力による検閲」の内面化を作動させるようだ。動画のなかに出てくる香港の行政長官が、その法によって、「罰する punish」だけでなく「防止する deter」と言っているのは、まさに、このことだろう。
こうした厳しい状況のなかで、それでも、報道プロデューサー、Bertha Wangは次のように言う。
「私は香港を去ることについて友人たちと議論した。しかし私たちはここにとどまる。なぜならここは私たちのHomeだから。まだあきらめたくない」と。
上の、Wangの話を聞きながら、ドイツの法学者、ハンス・ケルゼンの言葉(↓)を思った。ケルゼンは、ワイマール体制が最後的な危機に陥った1932年(翌年1月からナチスの一党独裁が始まる)、「民主主義の擁護」という小論を書いている。
その論文に書かれていることは、(Wangの言葉を借りれば)「民主主義は私たちの家なのだ」ということになろうか。この日本で、いま、繰り返し思い起こされるべき言葉だと、私は思う。
ハンス・ケルゼン「民主主義の擁護」(1932年)
民主主義が自らに忠実であろうとすれば、民主主義の否定を目的とする運動をも容認し、反民主主義者(引用者註、ここでは極左ボルシェヴィズムと極右ファシズム)を含めたあらゆる政治的信念に平等の発展可能性を保障しなければならない。我々の前で展開しているのは奇妙な劇だ。民主主義は、最も民主的な方法で廃棄されようとし、民衆はかつて自らに与えた権利を奪ってくれと要求している。
……(中略)……
多数者が他ならぬ民主主義破壊の意志において結集している場合、民主主義はその民衆、その多数者に抗して自らを防衛すべきか。……多数者の意志に抗して、実力行使に訴えてまで自己主張する民主主義なるものは、もはや民主主義ではない。民衆(Demos)の支配(Kratos )である民主主義が民衆に敵対して存立し得るはずがないし、そのようなことは試みるべきでもない。民主主義者はこの不吉な矛盾に身を委ね、民主主義救済のための独裁などを求めるべきではない。船が沈没しても、なおその籏への忠誠を保つべきである。「自由の理念は破壊不可能なものであり、それは深く沈めば沈むほど、やがていっそうの強い情熱をもって再生するであろう」という希望のみを胸に抱きつつ、海底に沈みゆくのである。
(岩波文庫『民主杉の本質と価値』所収)
時代と場所は違っても、困難のなか、みずからを鼓舞するように語った二人の言葉は、この私の今に響く。
刑務所に向う護送車のなかの友にむかって、「外」の人びとが何を呼びかけているのか、わからない(知りたい)。香港語のわからない私だが、その「呼びかけ」は、それを発する人自身にむかっての督励であることも、またまちがいないだろう。公判がおわって拘置所にふたたび戻される友の乗った護送車を、上の映像のように見送った遠い日のことが思い起こされる。
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