" I've got sunshine on a cloudy day "
滝川幸辰 らの京大からの追放、 矢内原忠雄 の東大からの追放、そして 河上肇 の京大からの追放(当ブログで取り上げた順)……このブログで年明けからあれこれ書いてきたことが、とうとう「日本学術会議」事件になってしまった。 鬱屈とした気分を少しは晴らしたいものだと、久しぶりに映画館で映画を観ることにした。1960年代初頭、私が中学生だったころから「お世話」になってきた「モータウン」(Motown)。そのドキュメントの上映期間が終わりかけていたので、急いで出かけた。地元の映画館での上映は、朝一番の10::00からの一回だけ。「人気」はあまりないようだ。実際、100名は収容できる客席には、ちらほらと10人くらいの客しか来ていない。それも皆、(朝から暇な)私と同年配の「高齢者」ばかりである。あのモータウンも過去のものとなってしまったのか? 私が中学に入ったのが1962年のことだから、その年か翌年かに、はじめてモータウンレーベルの楽曲を聴いた。 ある日、ラジオの音楽番組から、突然、次の曲(↓)が流れてきたのだった。 「ななっ、なんだこれは」…1拍前乗りというのか、いきなり頭から歌が始まって、度肝をぬかれた。バックビートとカッコいい歌唱法。R&Bという言葉はそのときまだ知らなかったが、その知らない世界に身体がさきに反応していた。 中学の英語の教科書は、載っている話の内容がどれもおもしろくなかった。それに比べれば、この歌は、どこか身に覚えのある(期待もする)、少年にもピンとくる話だ。歌詞をもっと理解しようと思って辞書を引いた。徴兵で遠く(戦場)へ行った「かれ」からの手紙を待っている「わたし」の思いが、その歌に込められていると聞いたのは、すこしのちのことになる。 この"Please Mr. Postman"が1961年、モータウン初の全米一位(ポップチャート)なったから、日本でもそのあと2,3年は、ラジオでよくかかっていた。日本の歌謡曲が色あせていった。 映画は、モータウンの創始者、ベリー・ゴーディと、ともに歩んだ歌手・プロデューサー、スモーキー・ロビンソンとが、モータウンの歩みと制作の裏話を、語り合う形式で構成されていた。その話の間あいだに、モータウンに所属した歌手たちの貴重な映像が挟まれる。たとえば、ゴーディが「(楽曲は)最初の10秒が勝負」と言って