竹内好「抵抗が自己をつくる」 敗戦記念日をまえにして(2)
前回、ハーバート・ノーマンの著作から「他人を奴隷化するために真に自由な人間を使用することは不可能である」の一節を中心に、日本の戦争と社会について少し考えた。この一節はしばしば引用されるが、中国文学者の竹内好(1910-1977年)も、敗戦後まもなく書いた「中国の近代と日本の近代」(1948年)でその一節を引用した一人であり、そこでノーマンの議論をさらに発展させているように私には読めた。70余年後の現在も、残念ながら、竹内の論考から学ぶことはまだあるようだ。
まず、竹内が「日本の近代」をどのようにとらえていたか、それが端的に出ている一節を引用する。(「戦争と『弔い』と(6)」で、すでに一部を引用しましたが…)
(引用1)「学問なり文学なり、要するに人間の精神の産物である文化が、追いかけてつかまえるべきものとして、外にあるものとして、かれらに観念されている。…追いつけ、追いこせ、それは日本文化の代表選手たちの標語だ。…学校時代の優等生が日本文化の代表選手になり、優等生制度と優等生精神で次代を教育した。だから日本文化は、構造的に優等生文化である。秀才は士官学校と帝国大学へ集り、その秀才たちが日本を支配した。鈍才は、秀才にたいして劣等意識をもつことで秀才以上に秀才根性だから、とても秀才に太刀打ちできぬ。…おくれた人民を指導してやるのが自分たちの使命だ。おくれた東洋諸国を指導してやる…優等生根性の論理的展開である。」(「中国の近代と日本の近代」)
この「優等生」たちが、日本の近代化を牽引したのだが、かれらはまた植民地経営や戦争を立案指導した点で、「他人を奴隷化する」(ノーマン)大元締めだったといえる。
こうしたリーダーたちの「優等生」性に、戦争に負けた原因があったのだと気づくべきであったが、実際には、この「優等生文化」という構造は温存されたまま、別の「秀才」たちに顔触れをすげかえて、この社会はあわただしく戦後を始めていったのだった。頭のいい「秀才」たちは、いつも機を見るに敏であり、「軍国主義」から「民主主義」に乗り換えるくらいは朝飯前だ。だから、本当の挫折や敗北感、深い自省を経ていない、その「民主主義」なるものも大変危うい。
竹内好が述べていることを、敷衍すれば、以上のようなことになろうか。では、「優等生文化」の何が問題なのだろうか。竹内は次のように言う。
(引用2)「(ヨーロッパに追いつけ、追いこせ、といった)こうした主体性の欠如は、自己が自己自身でないことからきている。自己が自己自身でないのは、自己自身であることを放棄したからだ。つまり抵抗を放棄したからだ。…だから日本文化の優秀さは、ドレイとしての優秀さ、ダラクの方向における優秀さだ。…(その)優秀さ、進歩性のゆえに、抵抗を放棄しなかった他の東洋諸国が、後退的に見える。魯迅のような人間が後退的な植民地型に見える。」(前掲論文)
(引用2)で、「(日本文化の)主体性の欠如は、自己が自己自身でないことからきている」とあるのは、(引用1)の「学問なり文学なり、要するに人間の精神の産物である文化が、追いかけてつかまえるべきものとして、外にあるものとして、かれら(優等生)に観念されている」と、同じことだろう。「外」に過剰適応しようとするあまり「内」が空虚な状態となる。自分自身の拠り所(判断基準・行動原理)がたえず「外」に求められる。上位者の顔色をうかがうことが常となる。そして、この適応力に長けた、しかし内は空虚な人間が、竹内の言う「優等生」であり「秀才」なのだ。ここで急いで付け加えるなら、日本におけるマルクス主義者たち(とくに理論的「指導者」たち)も、西欧、もしくはロシアマルクス主義を「手本」としその理論を直訳的に取り入れようとした点で、かれらが打倒の対象とした「優等生」たちと実は根は一つだったと、竹内は念を押している。
さて、竹内の(引用2)のポイントは、「抵抗を放棄したところ」に「自己」は「育たない」という点にある。「和魂洋才」などとうそぶいてみても、「洋才」が「洋魂」という土壌で育ったものであるとすれば、その「洋魂」を咀嚼しないまま、あるいはその異文化と格闘しないまま、要領よく「洋才」だけを移植しても、それは身についたもの、根のあるものとはならない。そのような「和魂洋才」というアクロバットを続けるうちに「自己」というものは一層空っぽのものになる……そういう問いを竹内は提示している。
そして、それとは反対に、「抵抗を放棄しなかった他の東洋諸国」が、一見「後退的に見える」ものの、じつは西欧の植民地主義やそのお先棒をかつぐ日本に「抵抗」することにおいて、「自己」を再認識し、着実に自己改革の道を歩んでいるのではないか、と竹内は述べる。
これはアジア諸国が独立を遂げる1950年前後の話として聞く必要があるものの、「抵抗」を契機とした自己発見という話は普遍的なものであろう。
自己があるということは、他者を他者として認め(=他人を奴隷化せず)、それに対する「抵抗」(不快や葛藤)を契機として他者を理解し、ひるがえって自己をつくり直していくことである。そこではまた、他者をもつくり変えていくという反作用も生じていくことだろう。日本の近代は、こうした「自由な人間」が生まれる契機となる、自己と他者とのダイナミクスを欠いていた点で、竹内は、それを「ドレイとしての優秀さ、ダラクの方向における優秀さだ」と言ったのであろう。
(つづく)
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