「この尊い犠牲が永劫に燦然と輝くことを…」 戦争と「弔い」と(3)

(前回のつづき)

以下、『餓島』の読書メモを記しておきたい。

1984年11月の終わり、赤松清和と彦坂諦の二人は、東京港から「にっぽん丸」に乗船し、「南太平洋慰霊の旅」という団体ツアーに参加することになった。赤松が、その時からおよそ40年前の1943年2月、餓死寸前の状況から「最後の撤収」によってガダルカナル島(以下、ガ島と略)から奇跡的に生還したのだった、そのガ島を再訪するのが赤松の目的だった。彦坂の著書『餓島』は、「慰霊の旅」の間に交わされた二人の対話を中心に構成されている。

 

出航日、二人が乗船地の東京港晴海埠頭に出向くと、そこには「戦友会」の男たちが「結団式」を仕切り、申し合わせたように旧海軍の略帽をかぶっていた。出航前には海上自衛隊の音楽隊が「海行かば」を奏で、慰霊式がおこなわれた。彦坂はそうした雰囲気に違和感を覚えたが、「赤松さん自身にとっては、そうしたことはみなどうでもいいことだったかもしれない。たいせつなのは自分がそこ(ガ島)に行くということ、そして、そこまで自分を運んでくれる手段が具体的に存在するということだったにちがいない」と思った(「餓島」)。本を読む限り、たしかに赤松はそういう人である。

ツアー名が「南太平洋慰霊の旅」とあるように、船は、いずれも激戦地の、サイパン島、ニューブリテン島(ラバウル)、ガ島、そして帰路にはグァム島に寄港し、参加者は上陸して慰霊碑を訪れ慰霊行事をおこなうことになっていた。

出航から二日目、船が硫黄島を通過する際に、船上で慰霊式がおこなわれた。船が島に近付くのに合わせ、海上自衛隊の哨戒機が船の頭上を飛ぶという「卓抜な演出」もあったという。慰霊式では、次のような対照的な「追悼の辞」が、遺族によって読み上げられた。

 

(夫を亡くしたAさん)

…四十年の月日は、今となりましては束の間のことでございます。そして私はひとりでいてあげてよかった、とつくづく思うこのごろでございます。あんなおそろしい島で無念に終えられたひとを、どうして忘れることができましょうか。でもまた、同じあの島で果てた黒人兵もいると聞きまして、やはり心が痛みます。もうけっして戦争をしてはなりません。どうぞあなたもこのことにお手を貸してくださいませ。…故郷のイチョウ、桜、カエデなどの落ち葉をたくさん拾って参りました。心を込めて、硫黄島のあなたに、そして盟友のみなさんに捧げます。」

 

(弟を亡くしたHさん…自身も元潜水艦乗組員)

…(硫黄島の「玉砕」した兵士たちは)無念の涙をのみ、悠久の大義に殉じられたものと推定されます。…敗戦後国民は一致協力し茨の道を踏み越えて目ざましい経済成長をとげ…これもひとえに今次大戦に散華されました英霊が賜物であり、究極においてその目的の一端が達成されたというべきであり、そしてこの尊い犠牲が永劫に燦然と輝くことを実証するものであります。…」

 

AとHの追悼の言葉の違いはあまりにも大きい。

Aは、「わたし(A)が、あなた(夫)に」語っている。Aはあなたの「顔」を見つめて(想起して)、「わたしの言葉」で語りかけている。一方、Hの追悼には、「わたし」も「あなた」(弟)も不在である。あえて言えば、顔をもたない「われわれ(に解消されたわたし)」が、同じく顔をもたない「あなたたち(に解消されたあなた)」に語っている。「わたしの言葉」を欠落させた、それゆえステレオタイプに流れた語りは、ひとりの「わたし」である私の心には響いてこない。しかも、この「あなたたち」は「日本人兵士」に限られているように思える。Aの追悼にある、そのとき、その島にいた「さまざま人びと=ひとりひとりの顔」に対する想像は、Hの追悼にはない。「敵」であった「黒人兵」ばかりではない。戦時動員で軍務に就いていた朝鮮人軍属も多数いたのである。そして、何よりも、みずから欲するところのない戦争に巻き込まれた、その島の人びと。そして、そこにあった死は、国籍や民族(人種)をこえた、ひとりひとりの死である。神津直次が「(政府・軍は)多くの民を死なせた」と書いたように(前回の記事)、Hが「散華」とよぶその死は、構造的には強制された死であった。

私が、Hの追悼の言葉を読んで、そら恐ろしく思ったのは、「究極においてその目的の一端が達成されたというべきであり、そしてこの尊い犠牲が永劫に燦然と輝くことを実証する」という下りである。この人の精神においては、「敗戦」は存在せず(日本は負けてはいない!)、この1980年代までずっと「戦争」は形を変えて続いてきたわけである。そして、いま、「その(戦争)目的の一端が達成された」と考えているのである。そこにあるのは、その不変の「永劫に燦然と輝く」目的のためにはふたたび「尊い犠牲」があってもやむを得ないという思考回路であろう。そして、それ以上に恐ろしいのは、このHの言っていることが、けっして単なる妄想ではなく、この社会の現実を言い当ててもいるということのほうだ。Hは、戦後日本の「目ざましい経済成長」に、自分の関わった「戦争」の継続、リターンマッチを重ねて見ている。しかもまだ「目的の一端が達成された」だけにとどまっていると言うのだ。そして、その終わらない「戦争」のなかで、ふたたび姿を変えた「戦死」は「尊い犠牲」とされるだろう。

(つづく)



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