ウェルズが予見しえなかったこと 中野好夫ノート(1)
コロナウィルスの感染拡大防止の「外出自粛」が呼びかけられている昨今、もともと外出することもほとんどない暮らしをしている私には(今のところ)特段の変化もなく、また近所の桜もいつもの春のように咲いている。
ただ、こんなのんびりとしたことを言えるのも「非社交型退職老人」だからこそ…。
働いている人や学校に行っている人にとっては、とんだ「たわごと」なのだろうとも思う。
いつものように自宅の書棚に眠っている古い本を引っ張り出して読んでいる。
最近読み直しているのは、中野好夫の『酸っぱい葡萄』(1979年)だ。
この本は、中野が戦中から敗戦直後の時期に書いたものを集めたエッセイ集で、ひとりのすぐれた知性が、とくに日本の敗戦直後の時期、その状況のなかで何に目を向け、何を考えていたか、について知ることができ、私には学ぶところが大きかった。いや、敗戦直後の中野の思索から、70数年後の現在もなお学ぶことがあるということは、この私も、この社会も、いささか情けないということになるだろうが…。
中野好夫は、日本が戦争を始め、そして戦争に負けた大きな原因の一つは、日本人の「個人」が脆弱だったこと、自由意志をもって考え行動する「個人」が未熟なままであったところによる、したがって、敗戦国日本の再建はこの個人の向上をおいてほかにないと、繰り返し主張している。そこには、次のような眼前の危惧があった。
「大詔(天皇の言葉、「おおみことのり」)出でて、毫末の混乱もなく平和に帰る有難さは、同時に大詔出でて、善悪ともに国民の意志とは無関係に戦争に突入するという大危険でもあることを忘れてはならない。」(「文学的でない一つの感想」1947)
日本の敗戦とは、「右向け右!」と言われ右を向いていた人たちが、今度は「左向け左!」と言われて、また一斉に左を向いたというようなことであって、そこに「個」としての苦悩も葛藤も見られなかった。ふたたび「右向け右!」と命ぜられたら……ということになるわけだろう。
中野好夫は、この話をするにあたり、日本の敗戦を「予言」していたH・G・ウェルズの未来小説『来るべき世界の姿』を取り上げている(図書館にあるようなので一度読んでみようと思う)。この小説が書かれた1933年は、「満州事変」の2年後であるが、のちの日中戦争、太平洋戦争、そして日本の敗戦をほぼ正確に予言していた。ただ、そのウェルズにして、ひとつだけ予見しえぬものがあったという。大変重要な指摘なので、長くなるが中野から引用する。
「日本の戦争停止が、大詔ひとたび出でてピタリと行われるなどとは、毛頭ウェルズは想像していないのである。
……
戦争が終わるという以上、それは国民の戦争批判にはじまり、それがやがて行動化し、政治を動かしてやめさせるか、でなければこの場合(ウェルズの小説)のように全く無統制となるか(軍隊内での反乱、国内での反戦運動、都市で暴動など)、その二つのほかに途はない。第三の場合はないのである。国民個人が自己の意志を持ち、程度の差はあれ、行動を決定するものは、その自我意志であることをほとんど自明の原理と考える西欧人としては、国民自身の意志、国民自身の力で戦争をやめるという、これよりほかに想像の途はない。日本人の実行した平和恢復の途は、すでに近代西欧人の思惟想像を絶した「ルールにないもの」であった。」(前掲書)
中野ももちろん、敗戦にともない社会的な混乱が生じることを望んでいるのではない。「今度の終戦事情を、ただ一回限りの幸福として喜ぶことには、私自身も決して異存はない」。しかし「この喜びは直ちに危険赤信号への警戒とも考えなくてはならない。結局残る課題は何か。ホイットマンのいわゆる『偉大なるデモクラシーは偉大なる個人を必要とする』ということである」と中野は結んでいる。
では、「デモクラシーの基本にあるべき個人」とは何か。中野の言葉にもう少し耳を傾けてみることにしよう。
(つづく)
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