新ブログ、やってみます。

(旧ブロブの最終記事からの一部引用)

最近、大岡昇平『少年 ある自伝の試み』(一九七五年)を読み返した。『幼年』に続いて連載されたものをまとめた作品だが、その冒頭部分に次のようにある。

「六十四歳になった現在、同じ作業(注:戦地で死を前にしておこなった過去の想起)を行う私にも同じ快感があって、私の叙述の客観性を損なわずにはいないだろう。生活の活力を失った老人の、回想によって生涯をもう一度生き直したい、という願望に繋がっているとすれば醜悪である。ただ現在の私には過去の経験を意識の領域に繰り込む作業に対する渇きのようなものが続いている。」

私が何をグダグダ書いているかといえば、この10年間、このブログ(旧ブログのこと)をとおして、「渇き」というような強いものはなかったとしても、「過去の経験」についてそこそこ触れてきたことからすれば、私も「過去の経験を意識の領域に繰り込む作業」をしておきたかったのかな、と素直に思えたということだ。60歳をまえにしてブログをなんとなく始めたことの「遠い背景」は、案外そんなところにあったのかもしれないと、大岡に教えられたような気がした。

(以上、引用終わり)

それで、旧ブログの「身辺雑記」というカテゴリーに書いてきたような記事をこのブログで、以前よりもさらに少数の読者(はたしているのか?)を想定して、というより自分自身に向けて書き残しておこうと思う。

「ここ数年、涙もろくなった」と何回か書いてきたような気がする。最近、それはさらに高じているようだ。
ここ ← にあるような報道(映像)を見ると、最初の1分くらいで泣けてくる。

その涙は一体何なのか、そうしたこともこの新ブログで考えてみたい。











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