リトル東京、レストラン「スエヒロ」
今からおよそ50年前(1970年代後半)、私が米国ロサンゼルスで放浪生活を送っていた時期、皿洗い兼ウェイターとして働いていた、リトル東京(以下、「小東京」)の日本食レストラン「スエヒロ」(末広)が、小東京から数ブロック離れた場所に移転した(せざるをえなくなった)ということを、たまたま下の動画を見て知った。 私がそこで働いていた頃、という以上に、お世話になっていた頃、オーナー兼ウェイトレスの「順子」さん(上の「健司」さんの母)には本当によくしてもらった。「スエヒロ」は下の写真のように、2nd Streetに面して建つ「アランホテル」の一階で営業していた。駐車している車の後ろに「スエヒロ」の看板が見える。その後、小東京の1st Streetに移り、さらに今回、小東京の外への移転を余儀なくされたわけである。 この写真には映っていないが、アランホテルの右隣(西側)には3階建ての小さなホテル「まさごホテル」があり、私はそこで暮らしていた。アランホテルもまさごホテルも、「ホテル」という名が入ってはいるが、実質的には、そこで長期にわたって暮らす人向けの「安アパート」であった。まさごホテルのほうは日系人や私のような日本人旅行者(放浪者)が主に居住していたが、アランホテルのほうは黒人も多く住んでいた。 ある日、まさごホテルのバックヤードで洗濯していると、隣りのアランホテルの非常階段に座ってハーモニカでブルースを奏でる黒人のお兄さんがいて、拍手を送るとウィンクで応えてくれたことを思い出す。 グーグルのストリートビューで見ると(↓)、現在は、アランホテルも、まさごホテルもなくなっている。写真正面、奥へと続く通り(2nd Street)の左側(南側)に、かつてふたつの「安ホテル」が並んであった。その場所には今、都市「再開発」事業によるものなのか、小綺麗な集合住宅が建ち並んでいる。かつて「安ホテル暮らし」をしていた人たちに「行き先」はあったのだろうか。いろいろ助けてもらった人たちの顔が思い浮かぶ。 小東京のすぐ南側には、「スキッドロウ(skid row)と呼ばれる、路上生活者たちが多数暮らしている地域がある。アランホテルやまさごホテルの元住民のなかにも、そ...