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ありがとう、ヒデマロさん!

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憂歌団のマネージャーをしていた、ヒデマロさんが、昨年(2024年)1月にお亡くなりになっていたことをつい最近知った。 1952年生まれとのことだから、72歳での死だったのか。 (↓ ヒデマロさんの追悼ライブ 2024年5月21日 at 梅田TRAD:旧バナナホール) 彼と親しく交流したわけではないが、あるイベントで憂歌団のボーカル、木村充揮(あつき)さんの出演をお願いしたことをきっかけに、その後の音楽イベントでもお世話になり、また、扇町公園近くのビルの一室にあった音楽事務所で談笑したり、あつかましくも京都のご自宅でご馳走にあずかったことまであった。いい思い出しかない。 1970年代、京都のライブハウス「拾得(じっとく)」「磔磔(たくたく)」や京大西部講堂などを舞台に展開された、ロック、ブルースのムーブメントを、プロデューサーの立場から牽引したお一人だった。無念なことである。 YouTubeを見てみると、ヒデマロさんが歌をうたっている映像があった。ご自身で楽曲もつくり、歌までうたっていたとは驚きだった。 そのなかに、阪急東通り商店街(商店街といっても実質は飲食店街)を舞台にした「黄昏 東通り」という曲があった(↓)。 1990年前後のころだったか、東通り商店街の一番東の端にあるライブハウス「バナナホール」でライブを彼と一緒に楽しんだ後、近所の立ち飲みバーに連れて行ってもらい、遅くまで楽しくすごした夜のことは今も忘れることはない。もうそのバーはなくなっているみたいだけど…。 ヒデマロさん、そっちの世でも「もう一杯!」って、今夜も楽しんでいますか?