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” 夢と蹉跌 "の弁証法

 「人は多く、己れの夢に励まされ成長し、その同じ夢によって蹉跌し絶望する。  ……  青年期にひそかに思い描いた夢は、苛酷な現実におしひしがれ、またみずからの経験の深化や認識の進展に修正されつつも、多くは生涯その人を支配する。そうであるゆえにこそ人は悲哀し憤怒するのだが、しかしまたこの悲哀や憤怒なくしては、ついに何事もなしえないのである。」  これは、中国文学者であり作家であった高橋和巳(1931-1971)が書いた、魯迅論、「民族の悲哀ーー魯迅」(1967)の一節だ。このとき、高橋はなんと36歳。ちょうどそのころ、17歳の高校生だった私は、高橋の書いたものに出会ったのだった。  あれから50有余年、早逝した高橋の上のことばは、老いていっそうわが身に迫る。わが「悲哀や憤怒」は「何事」をなさしめたのか、と。